静岡地方裁判所 昭和56年(行ウ)8号 判決 1992年10月08日
原告
花田忠次
右訴訟代理人弁護士
秋山泰雄
同
荻原富保
同
惠崎和則
被告
東海郵政局長戸澤真也
右訴訟代理人弁護士
渡邊丸夫
右指定代理人
佐野武人
同
田村利郎
同
衣川和秀
同
中本薫
同
川村一郎
同
杉原勲
同
前田銀広
同
寺西良徳
同
松村保雄
同
東地禮司
同
井田直希
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が、原告に対し、昭和四九年一一月一六日付でした懲戒免職処分を取消す。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告の地位及び本件懲戒処分
原告は、東海郵政局所轄清水郵便局(以下「清水局」という。)に勤務する郵政事務官であったが、昭和四九年一一月一六日、被告により懲戒免職処分(以下「本件処分」という。)に付された。
2 審査請求の存在
原告は人事院に対し不利益処分審査請求をしたが、人事院は、昭和五六年一月二四日到達の判定書により、本件処分を承認した。
3 結論
しかし、原告が懲戒免職に付されるべき事由はなく、本件処分は違法である。
よって、原告は、被告に対し、本件処分の取消しを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因事実1は認める。
2 同2は認める。
3 同3は争う。
三 抗弁
1 原告の非違行為及び適用法条
(一) 昭和四九年三月二八日午前の事実
原告は、昭和四四年八月、全逓信労働組合(以下「全逓」という。)清水支部青年部長に選出され、昭和四七年八月以来同支部分会長の地位にあったものであるが、以下のとおり、多数の組合員を指導して長時間、集配課長山崎孝一(以下「山崎課長」という。)ら清水局管理者に対する集団抗議を行うとともに、右組合員らにその勤務を欠かせ、また、自らも午前九時二二分から同九時五八分までの三六分間及び同一〇時二〇分から同一〇時三八分までの一八分間の合計五四分間、みだりに勤務を放棄して欠務し、更に管理職に対して暴力的行為を行い、暴言を吐くなど常軌を逸した行為に及び職場の秩序を著しくびん乱した。
(1) 集配課職員菊地(以下「菊地」という。)が、同日午後二時三五分から同三時三五分までの一時間の年休の請求を提出したことから、山崎課長と同課副課長三浦昭三(以下「三浦副課長」という。)は、当該年休請求について業務支障の有無について検討したところ、菊地の担当する通常配達市内二一区は前日から郵便物の滞留が著しく、当時は年度末で郵便物も多く、また班内の相互応援も困難である上、非常勤職員の雇用も不可能であることから同人に年休を付与すると更に二日遅れの郵便物が相当数発生することが予想された。
そこで、山崎課長は同日午前九時ころ、二一区で作業中の同人に対し、三浦副課長をして、同日時の年休付与はできない旨を伝えさせた。ところが、同九時一二分ころ、菊地は三浦副課長に対して、納得できない旨を申し出たので、同九時一三分ころ、三浦副課長は山崎課長席において、再度山崎課長とともに菊地に対しその理由を説明して時季変更する旨を伝えた。しかし、菊地は、これを不服として請求どおり年休が付与されない理由の説明を執拗に求めたので、山崎課長は説明を打ち切り、菊地に就労を命じた。
(2) しかるに、午前九時一八分ころ、原告は、菊地と山崎課長とのやりとりを聞きつけて、勤務時間中であるにもかかわらず、同課職員深田貞次(以下「深田」という。)とともに他の組合員六、七名の先頭に立って山崎課長席付近に集まり、菊地とともに抗議を始めた。更に、原告は、山崎課長及び同所にいた三浦副課長の再三にわたる就労命令を無視し、三浦副課長に対し、「三浦、お前がウンと言えば済むことだぞ、とろいこと言っとるとブツがたまるぞ。お前がためるんだぞ。」などと暴言を吐き、これに呼応した組合員らとともに集団で抗議を続け、同九時二二分ころ、山崎課長から再度就労を命ぜられ、これに従わないときは賃金カットする旨警告を受けたにもかかわらず、原告はこれをも無視し、同課長らに対して、「賃カツだと、やれるものならやってみろ。賃カツをこわがるおれっちかよ。」「三浦、お前はバカだなあ、時間内だからやるんだ。」などといって集団抗議を続けた。
(3) 同九時三三分ころ、原告は、右集団抗議に加わっていた同課職員岩科勇作(以下「岩科」という。)に対して、「とてもじゃないが、らちがあかん。若い衆を呼んでこい。」と指示し、その意を受けた岩科の呼びかけで同九時三五分ころいずれも勤務中の職員望月保延、望月保男、野末昭(以下「野末」という。)、青島和紀(以下「青島」という。)、佐藤七郎ら五、六名を新たに右集団抗議に参加させ、山崎課長らの再三にわたる就労命令を無視し、更に同課長に対し、「山崎、ちゃんと答えろ。承認しさえすれば解散するだよ。一号便を完配しなければ、年休を与えないのかよお。」と発言し、抗議を続けた。そして、原告の右発言に呼応して、菊地、池田光雄(以下「池田」という。)、森田順司、森田耕史らも、「一時間ぐらい与えてやれよ。」「どうして与えられないのか説明してくれ。」などとこもごも発言し、同様に抗議を続けた。
そして、原告は、同九時三八分ころ、電話の応対に出ていた同課副課長池谷丈夫(以下「池谷副課長」という。)から電話中につき静かにするよう注意を受けるや、「こういう馬鹿な管理者がいることを公衆に分かってもらったほうがいい。」などと言ったため、抗議に参加していた他の組合員がこれに呼応して電話の受話器に顔を近づけて大声で騒ぐに及んだ。
(4) 同九時五八分ころに至り、原告は、右集団抗議に参加していた組合員らに対して「さあ、みんな、もう一度菊地君に課長から説明させたいから、この辺で引き揚げよう。」と指示し、集団抗議参加の組合員を解散させ、ようやく就労した。
(5) 山崎課長は、同九時五九分ころから菊地に対して再度年休の時季変更の理由を説明したが、同人が聞き入れようとしないため同一〇時八分ころ説明を打ち切り、同人に就労を命じて、同課課長席から同課第一班道順組立コーナー(以下「道順組立」を「順立」という。)付近へ向かったところ、菊地は「おい山崎、まだ説明は終わっちゃいない。逃げるのか。」と大声でいいながら同課長の後を追った。
同一〇時九分ころ、原告は、右菊地の声を聞きつけると勤務時間中にもかかわらず、数名の組合員とともに同課市内一区順立だな裏側付近において山崎課長を取り囲み、原告が同課長に対して「山崎、菊地が聞きたいと言っているのに逃げるのか。」などと言って他の組合員とともに集団で抗議を始めた。その際原告は、三浦副課長の就労、解散命令に対して、「三浦しゃらくさいぞ」と言って従わず、同副課長が同課市内一区順立だな裏付近で非違行為の現認のメモを取るのを、その胸部を押し付けて妨害し、更に、山崎課長の背後から「山崎、さあ席に戻るか。」と言いながら、同課長の右肩にその手を掛けて手前に引いた。これを契機として山崎課長を同課課長席へ連れ戻そうとする原告ら組合員と、これに応じまないとする同課長とがもみ合いながら同課市内三区順立だなの横を通って同課市外四区順立だな裏側付近に移動した。
そして、同一〇時一八分ころ、原告は、山崎課長を取り囲んでいる組合員に対して「さあ、みんな課長をもっと広いところへ連れ出せ。」と指示し、これに応じて、その場にいた森田耕史が、同課長の背後から同課長の両腕を抱え、同課長を同課第六班順立コーナーと、同第七班順立コーナーの間の通路付近まで押し出した。続いて、同一〇時一九分ころ、山崎課長が身の危険を感じて森田耕史の腕を振りほどき第七班順立コーナーを通って三浦副課長席へ向かうと、原告は、他の組合員らとともに、同課長の後を追いかけながら、執務中の職員に対して「さあ、みんな、もう一度集まってくれ。」と大声で叫びかけ、同一〇時二〇分ころ、同副課長席に着席した同課長を、原告とともに行動していた組合員及び右集合の呼びかけに応じて参集した一七、八名の組合員らとともにまたも取り囲んだ。そして、原告は、山崎課長らの再三の就労命令を無視して同課長に対し、「ちゃんと説明すれば作業につくだよ。」などと言って他の組合員らとともに集団で抗議を続け、この間の、午前一〇時二七分ころには、原告は右抗議に加わっていた青島が所持する集配用カバン(普通通常郵便物約六〇〇通が入っていたと推定される。)に入っている郵便物を指して、「そんなもの破ってしまえ。」と言い、これに対して池谷副課長から注意されたにもかかわらず、何らの反省の色も見せなかった。
原告は、同一〇時三八分ころ、同課職員釜田建司(以下「釜田」という。)に対し「おい釜田、今日は緊急分会会議を召集して時間外にまた集団抗議をやらざあ。」と呼びかけるとともに、抗議参加の組合員に対し、「さあ、みんな、御苦労さん。今日はこの辺で解散しよう。時間外は分会会議を開くからみんな集まってくれ。」と指示し、組合員らを解散させ、自らも就労するに至った。
以上の原告の行為のうち、勤務時間中にもかかわらず、管理者の再三にわたる就労命令にも従わず、長時間にわたり集団抗議を行う等してみだりに勤務を欠き、多数の組合員に対して勤務を欠かせた点は、国家公務員法(以下「国公法」という。)九八条一項、九九条、一〇一条一項、郵政省就業規則(以下「就業規則」という。)一三条に違反し、国公法八二条各号に該当し、また、多数の組合員を指導して同課長らに対し、集団の勢威をもって抗議を行うとともに、暴力的行為を行い、あるいは暴言を吐くなどした点は、国公法九九条、就業規則一三条に違反し、国公法八二条一、三号に該当する。
(二) 昭和四九年三月二八日午後の事実
原告は、以下のとおり、多数の組合員を指導し、庁舎事務室において、管理者の再三にわたる解散、退去命令を無視して、長時間にわたり山崎課長らの管理者に対し厳しい集団抗議を行うとともに、管理者に対し暴力的行為を行い、暴言を吐くなどして、著しく職場の秩序をびん乱した。
(1) 原告は、午後四時一五分ころ、集配課順立コーナー付近に集まった組合員約四〇名に対し、「さあ、みんな揃って集団抗議をやろう。」と呼びかけ、これに呼応した組合員らとともに、自席で執務中の山崎課長を取り囲んだ。そして、山崎課長の左手に接近して立った原告が同課長に対し、「おい課長、今日のやり方に全員が怒っている。どうしてくれるんだ。」と発言して抗議の口火を切り、同課長からの再三にわたる解散命令を無視して同課長に対し、前記年休の時季変更の理由について説明を求め、あるいは抗議に及んだ。その際、原告は、集団抗議の行われている山崎課長席へ向かおうとした池谷副課長を認め、「こんなのをこっちへ入れるなよ。」と組合員に指示し、これに応じた釜田は、同副課長の前に立ちはだかり両腕で抱えこんで妨害した。
また、原告は、午後四時一八分ころ、池谷副課長が同課課長代理河村懋(以下「河村課長代理」という。)にメモ用紙をくれるように頼んだところ、同副課長に対し、「池谷お前スパイするのか。」と言って、河村課長代理から渡されたメモ用紙にメモを取ろうとする池谷副課長の前に立ちはだかって胸部を接近させ、メモを取るのを妨害した。そこで、池谷副課長に変わって河村課長代理がメモを取ろうとしたところ、これをも妨害した。
更に、同四時二一分ころ、原告は、山崎課長に対し、「課長、説明しろ、ちょろい。」と言いながら、着席中の同課長の左肩を背後から右ひじで二、三回打ち降ろすようにして小突いた。
(2) 午後四時三九分ころ、原告は、右集団抗議に参加した約四〇名の組合員に対して「(山崎課長を)広いところへ連れ出すか。」と指示し、これに応じてこの集団抗議に加わっていた森田耕史、曽根田信夫(以下「曽根田」という。)、岩科らが、山崎課長が着席している椅子をゆさぶり、青島、堀池修一らが同課長の机を前方へ移動させ、更に右森田耕史らが同課長を背後から抱き上げるとともに、同課長が着席していた椅子を引いて、同課長をその場に立たせた。その際、原告は、菊地ら数名の組合員とともに山崎課長を取り囲んで、同課速達順立コーナー付近へ押し出し、同所において、同課長を取り囲み、三浦副課長らの再三にわたる解散、退去命令を無視して、同課長に対し集団で抗議を続けた。更に同四時四三分ころには、三浦副課長が原告らに対し、解散を命ずるとともに勤務中の者以外の者に退庁を命じたが、原告は、「うるせい、三浦だまっとれ。」と言って同副課長の右命令を無視して引続き集団で抗議を続けた。
(3) 同五時一七分ころ、原告は、右集団抗議参加の組合員に対して、「みんな、御苦労さん。今日は、この辺でやめよう、シュプレヒコールで結ぼう。」と指示し、次いで、「年休制限をやめろ。」、「不当処分を撤回しろ。」、「集配分会は闘うぞ。」などのシュプレヒコールの音頭を取り、これを組合員に唱和させ、同五時一八分ころ組合員に対して、「御苦労さん、明日からもがんばろう。」と発言して組合員を解散させた。
以上の、多数の組合員を指導し、庁舎事務室において、山崎課長ら管理者の再三にわたる解散・退去命令を無視して、執務中の山崎課長らに対して長時間にわたり激しい集団抗議を行うとともに、山崎課長に対し暴力的行為を行い、管理者に対して暴言を吐くなどした原告の行為は、国公法九九条、就業規則一三条、郵政省庁舎管理規程(以下「庁舎管理規程」という。)三条に違反し、国公法八二条一、三号に該当する。
(三) 昭和四九年四月四日の事実
原告は、以下のとおり、多数の組合員らを指導し、管理者の再三にわたる制止、解散命令を無視して、執拗に集配課課長代理岩崎清(以下「岩崎課長代理」という。)に対する嫌がらせを行い、同課長代理の執務を妨害するとともに、暴力的行為及び侮辱的言辞を繰り返し行うなどし、職場の秩序を著しくびん乱した。同課長代理は、全日本郵政労働組合(以下「全郵政」という。)の組合員であった。
(1) 原告は、午後三時五四分ころ、約二〇名の組合員の先頭になって岩崎課長代理席付近へ赴き、「さあ、犬狩りをやらざあ。岩はおるか、岩は。」と発言しながら岩崎課長代理に対する嫌がらせの口火を切り、自席で事故郵便物の処理事務を行っていた同課長代理を組合員らとともに取り囲んだ。そして、これを制止し、解散命令を出した山崎課長に対して、「うるせえ、だまってろ。」と言って制止・解散命令に従わず、またその後も同課長らの同様の命令を無視し、岩崎課長代理に対して、「お前のような馬鹿がよく課長代理になれたなあ。」、「いつ全郵を脱退するんだ。早く脱退しろ。犬、赤犬、残飯あさり。」、「いいか、全郵を脱退しないと局をやめるまでやってやるからな。岩、おい、岩、わかったか。」などと侮辱的言辞を弄して、他の組合員とともに同課長代理の全郵政からの脱退を強要する嫌がらせを執拗に行い、同課長代理の執務を妨害するとともに、その間、同課長代理の左肘やわき腹を小突いた。
(2) 同四時ころ、原告は、森田耕史とともに、自席で約二〇〇通の郵便物を両手で抱え持っていた岩崎課長代理を、同所から同課市内一三区順立だな付近まで押し出し、これを数名の組合員とともに取り囲んで嫌がらせを続け、更に同課長代理が周囲から押されて床上に落した郵便物を拾い上げようと体をかがませたとき、その背後から同課長代理の背部を左膝で小突いた。その後、同課長代理が郵便物を床から拾い上げて自席前の平貞子の上に置いたところ、原告は、森田耕史らとともに同課長代理を速達順立コーナー付近へ押し出し、数名の組合員とともに同所において再び取り囲み、山崎課長らの制止・解散命令を無視して、「全郵を脱退しろ。」などと大声を発して嫌がらせを続けて同課長代理の全郵政からの脱退を強要し、執務を妨害した。
(3) 同四時一〇分ころ、岩崎課長代理が山崎課長により速達順立コーナーから自席へ連れ戻され、事故郵便物の処理事務を再開したところ、原告らは、またも同課長代理を取り囲み、同課長らの制止・解散命令を無視し、原告において、「岩、おしか、つんぼか、全郵を脱退しろと言っているのが聞こえないのか。」と同課長代理の耳元で怒鳴り、他の組合員も口々に大声を発し、また原告は、他の組合員とともに同課長代理を胸で押したり、膝で蹴ったりして同課長代理の執務を妨害した。
(4) 同四時二〇分ころ、岩崎課長代理が整理を終えた事故郵便物を入れるため、速達順立コーナーへファイバーを取りに向かったところ、原告は、森田とともに同課長代理を追いかけ、同課速達一区順立だなと中央柱とのすみへ約一〇名余(原告、森田耕史、深田、曽根田、志田修<以下「志田」という。>、岡田静夫<以下「岡田」という。>、青島、近藤博吉、池田、千葉喜代治、佐藤七郎、菊地秀雄、杉山秀雄及び福田豊)の組合員らで押し込み、山崎課長らの囲みをとき、通路をあけるようにとの命令を無視して、同課長代理が脱出しようとするのを妨害して嫌がらせを続け、同四時四〇分ころ、ようやく山崎課長が同課長代理を同所から救出し、同課長代理席へ連れ戻したが、更に原告は、森田耕史らとともに同課長代理を取り囲み、同課長らの「執務妨害になるから解散させるように。」との命令を無視して、同課長代理に対し、執拗に嫌がらせを続けた。
(5) そして、同四時四四分ころに至り、原告は、右嫌がらせに参加していた組合員らに対して、「さあ、ほかの犬狩りをやらざあ。」と指示し、組合員とともに岩崎課長代理席付近から立ち去った。
以上の、多数の組合員を指導し、庁舎事務室において、山崎課長ら管理者の再三にわたる制止・退去命令を無視して、上司である岩崎課長代理に対して、集団の勢威をもって執拗に嫌がらせを行い、同課長代理の執務を妨害するとともに暴力的行為を行い、侮辱的言辞を弄し暴言を吐くなどした原告の行為は、国公法九九条、就業規則一三条、庁舎管理規程三条に違反し、国公法八二条一、三号に該当する。
(四) 昭和四九年四月一七日の事実
原告は、以下のとおり、管理者の再三にわたる解散・退去命令に従わず、多数の組合員を指導して一時間余の長時間にわたり、山崎課長に対し激しい集団抗議を行い、この間、同課長に対し、暴言、脅迫的言辞を吐いて威圧したほか、暴力的行為を行うなどして職場の秩序を著しくびん乱した。
(1) 清水局局長は、昭和四九年四月一日の定期昇給発令に際し、集配課職員のうち五名の者について、郵政省と全逓との間の労働協約である「昇給の欠格基準に関する協約」の第一条五の一に基づく定期昇給の欠格基準に該当すると判断されたため、これを東海郵政局長に上申中であったことから、この上申に対する同郵政局長の判断が示されるまでの間、右五名の昇給発令を保留することとし、同月一六日、山崎課長から該当の職員に対し昇給発令を保留すること及びその理由については庶務会計課長から聞くよう通知した。
(2) 同月一七日午後四時五五分ころ、原告は、菊地とともに約四〇名の組合員の先頭になって集配課主事今村芳夫(以下「今村主事」という。)席付近に赴き、同主事席に着席していた山崎課長を取り囲み、原告及び菊地において同課長に対し、前記定期昇給の発令保留に関して、「山崎、今度五名もの昇給保留をしたのはどういうわけか。皆、怒っているからなあ。納得するよう説明してくれ。」などと口火を切り、同課長及び三浦副課長の再三にわたる解散命令を無視して、原告において、「山崎、そんな態度をとっていると増班をひっくり返してやるからな。五月一九日がすんなりいくと思ったら大きな間違いだぞ。」、「お前がやったことだ、説明できるだろう。ちゃんと説明すれば解散するだよ。」と言い、参加者において口々に、「ぶっ殺してしまえ。」などと罵声を浴びせ、室内を騒然とさせた。
原告は、その後、右集団抗議参加の組合員に対して、「そろそろ立たせようか。」と指示し、これに応じて、この集団抗議に加わっていた青島が、「課長立てよ。」と言って、同課長の背後から両手拳で同課長の両脇を押して同課長を立たせようとし、次いで青島らが同課長を着席している椅子ごと今村主事席机上に腰掛けている原告の前まで押し出した。原告は、山崎課長を見下ろすように腰掛けたまま、「さあ、説明しろ。」と大声で威圧し、他の組合員も、「山崎、分会長と対談しろ。」などと口々に抗議を続けた。
(3) 同五時三四分ころ、原告は、右集団抗議参加の組合員に対して、「それ、もっと広いところへ出すか。」と指示し、これに応じて青島が、「それ、囚人を引き出すそ。」と言いながら、他の組合員とともに山崎課長を同課長が着席している椅子ごと同課市内一六区順立だな付近まで押し出した。そして、同所で集団で覆いかぶさるようにして同課長を取り囲み、同課長らの再三にわたる解散命令を無視して説明を強要した。続いて、同五時四七分ころ、庶務会計課長蒔田林祥(以下「蒔田課長」という。)が、原告に対して右集団を解散させるように命じたところ、原告は、「集配課長が説明しないなら、お前が代わって説明しろ。蒔田、お前が皆の前で説明すれば解散してやる。」などと言ってこれに従わず、更に抗議を続行した。
この間、集団抗議参加の組合員は、同所付近の蛍光灯を消し、ブラインドを降ろして同所付近を暗くしたり、また、週刊誌を丸めて筒状にして同課長の耳元で大声を発し、そのため、同課長が手で耳を覆うと、その手をつかんで引き離したり、マッチの火を同課長の顔面に近づける等の行為をした。
(4) 同六時一四分ころ、原告は、右集団抗議参加の組合員に対し、「さあ、みんな御苦労さん。今日はこの辺でやめよう。シュプレヒコールで結ぶから頼むよ。」と指示し、次いで、同課長を取り囲んだ状態で自ら、「差別はやめろ。」、「仲間の分断は許さんぞ。」、「昇給保留を撤回しろ。」、「全逓清水支部集配分会は一致団結して闘うぞ。」などのシュプレヒコールの音頭を取って組合員に大声で唱和させ、同六時一八分ころ、「明日からは一切業務には非協力でいくから頼むよ。」と発言して、右集団抗議に参加した組合員を解散させた。
以上の、多数の組合員を指導し、庁舎事務室において、山崎課長ら管理者の再三にわたる解散・退去命令に従わず、山崎課長に対して長時間にわたり激しい集団抗議を行うとともに、同課長に対し、暴言、脅迫的言辞を吐いて威圧したほか、暴力的行為を行うなどした原告の行為は、国公法九九条、就業規則一三条、庁舎管理規程三条に違反し、国公法八二条一、三号に該当する。
(五) 昭和四九年七月二三日の事実
原告は、以下のとおり、勤務時間中にもかかわらず、山崎課長ら管理者の解散・就労命令を無視して、多数の組合員を指導して長時間にわたる集団抗議を行い、管理者に暴言を浴びせるとともに、勤務時間中の組合員にその勤務を欠かせ、自らも午前七時四〇分から同一〇時一〇分までという長時間にわたりその職務を放棄し、みだりに勤務を欠き、職場の秩序をびん乱した。
(1) 当時、清水局集配課では、近隣局の開局に伴う同課職員の転出と局内異動が行われたため、同課各班の所属人数に不均衡が生じ、職員の相互の異動を実施する必要が生じた。一方、七月二七日付けで集配課を第一集配課と第二集配課とに二分割することが予定されていたので、山崎課長は、これと併せて検討した結果、その一連の措置として第六班所属の松下正美(以下「松下」という。)を第七班へ所属換えさせることとした。山崎課長は、所属班の変更は通区(担当配達区内の居住者名及び配達順路等に通暁し、自ら配達作業を行うことができる能力を身につけること。)等の関係もあるため、予め本人に十分理解させた上で行った方が望ましいと判断し、本人にその説明を行うよう三浦副課長に指示した。そこで、三浦副課長は、七月二二日午後、松下に対して所属班の変更についての説明を行ったが、同人が納得するに至らなかったため、同人に対し同日の時間外に再度話し合うと申し向けておいたところ、時間外に同人の所在が不明であったため、同日午後四時ころ、松下宅へ電話をしたが、同人は不在であった。その後、同日午後六時ころ、松下から三浦副課長に電話があり、「時間外になぜ自宅へ電話するのか。家の者がびっくりするではないか。仕事の話は時間外に聞く必要はない。」などと言われたため、同副課長は、同人に対し、翌日手すき時間に話合いをする旨伝えた。
(2) 七月二三日午前七時三〇分ころ、原告は、勤務時間中であるにもかかわらず、他三名とともに松下に同行して三浦副課長席に赴き、松下が三浦副課長に対し、「おい三浦、昨日話があるといって電話をかけてきたので来てやったぞ。さあ、話をしよう。」と切り出したのに続いて、原告も、「三浦、時間外に勝手に組合員の家へ電話をかけるとはどういうことなんだ。そんなことが許されると思うのか。謝れ。」などと大声で抗議の口火を切り、同副課長の就労命令を無視して、その場に集まってきた他の組合員約一〇名とともに、右同様同副課長に対し抗議を続けた。
(3) 同七時四〇分ころ、山崎課長が原告に対し、集団抗議を解散させ、就労するよう命ずるとともに、就労しない場合は欠務処理及び処分の対象にする旨通告したところ、原告は、同課長に対して、「これは挑戦だ。課長がそういう態度であるなら、みんなを呼ばざあ。」と反発して抗議をしたため、勤務時間中の四、五名の組合員も同抗議に新たに加わり、同課長らの再三にわたる就労命令を無視して、同一〇時一〇分ころまで同課長及び三浦副課長に対し執拗に集団抗議を続けた。
以上の原告の行為のうち、勤務時間中にもかかわらず、山崎課長ら管理者の再三にわたる解散・就労命令に従わず、長時間にわたり集団抗議を行う等してみだりに勤務を欠き、多数の組合員に対し勤務を欠かせた点は、国公法九八条、九九条、一〇一条一項、就業規則一三条に違反し、国公法八二条各号に該当し、また、管理者に対し暴言を吐いた点は、国公法九九条、就業規則一三条に違反し、国公法八二条一、三号に該当する。
2 原告の処分歴
(一) 昭和四五年五月二日、国公法八二条該当により清水局局長から懲戒戒告処分を受けた。右処分は、同年四月八日、年次有給休暇の承認を得ずに右当日の勤務を欠いたことによるものであった。
(二) 同四六年九月一四日、同法同条該当により同局長から懲戒戒告処分を受けた。右処分は同年二月二五日、一六時間勤務として運送業務に従事中、過眠のため、同月二六日午前三時二分、東門下四号便差立郵袋一九個、到着郵袋三四個の受渡しを欠き、じ後の郵便業務の正常な遂行を阻害したことによるものであった。
(三) 同年一〇月一六日、同法同条該当により、同局長から懲戒減給処分(減給一〇月間俸給の月額の一〇分の一)を受けた。右処分は、原告が全逓清水支部青年部長であった期間中の同年六月二三日から同年七月一七日までの間、清水局管理者の解散、退去命令若しくは就労命令を無視し、多数の全逓組合員を指導して、同局庁舎内において示威行進を行い、あるいは同局職員に話し合いを強要し、勤務時間内に食い込む出局妨害等の行動を行い、自らもしばしば勤務を欠き、更には同局管理者に対し集団で抗議したばかりでなく、同局管理者等の身体を押し、また同年六月二八日、上司の承認を得ないで勤務を欠く等して職場の秩序を乱したことによるものであった。
(四) 昭和四八年一一月三〇日、同法同条該当により、同局長から懲戒減給処分(減給二月間俸給の月額一〇分の一)を受けた。右処分は、原告が全逓清水支部集配分会長であった期間中の同年二月一四日から同年四月一四日までの間、清水局管理者の解散命令を無視し、同局管理職に対し集団で抗議し、暴言を浴びせ、また多数の組合員を指導して同局会議室において許可なく集会を開催し業務を妨害しあるいは同局管理者に対し集団で抗議し職場の秩序を乱したほか、同年一〇月八日及び同月九日の両日、郵便外務事務に従事中ことさら作業能率を低下させたことによるものであった。
3 本件処分の適法性
原告の本件非違行為は、長時間にわたり再三なされた暴力的行為をも伴う著しく常軌を逸したもので、その行為態様、原因ないし動機等において何ら宥恕すべき事情が存しないのみならず、原告は、既に同様の非違行為等について四回にわたる懲戒処分を受け、その都度将来を戒められてきたにもかかわらず、またしても本件非違行為に及んだものであって、右一切の事情を総合判断すれば、原告を懲戒免職とした本件処分は、適法かつ正当である。
四 抗弁に対する認否
1(一) 昭和四九年三月二八日午前の事実
冒頭の事実のうち、原告が、被告主張のとおりの全逓清水支部の役職にあったこと、また原告を含む組合員が被告主張の時刻ころ、山崎課長に抗議をしたことは認め、その余は否認する。原告は、本件行為において指導的役割を果していない。
(1)の事実のうち、菊地が被告主張のとおりの年休請求をしたこと、同課長が被告主張の時刻ころこれを付与しない旨菊地に通告したこと及び同人がこれを不服として付与されない説明を求めたことは認め、その余は否認ないし争う。
(2)の事実のうち、原告が勤務時間中である被告主張の時刻ころから菊地に対する年休不付与につき同人を含む組合員らと共に抗議したこと及び三浦副課長及び同課長が原告を含む組合員らに対して就労を命じたことは認め、その余は否認する。
(3)の事実のうち、被告主張の時刻ころ、原告を含む組合員らが、同課長に対し抗議をしたこと及び右抗議中同課長から就労命令のあったことは認めるがその余は否認ないし争う。但し、抗議参加の組合員の中には、「一時間位与えてやれ。」等の発言をした者はある。岩科が抗議に参加させるべく勤務時間中の職員に声をかけたことはあるが、同人は望月保延他一、二名に対して声をかけたに過ぎず、かつ、それは原告の指示によるものではない。しかも抗議に参加した組合員らは全て岩科の指示によって集ったものではなく、抗議参加の組合員らと同課長らのやり取りを聞きつけて同課長席付近に集ったものである。
(4)の事実のうち、被告主張の時刻ころ、原告を含む集団抗議参加の組合員らが解散し就労したことは認めその余は否認ないし争う。解散の指示は全逓清水支部書記長である池田がなしたものである。
(5)の事実のうち、被告主張の時刻ころ、菊地が被告主張の趣旨の発言をなして同課長の後を追ったこと、その後再び原告を含む組合員が同課長に抗議をしたこと及び被告主張の時刻ころ、原告を含む組合員が就労したことは認め、その余は否認する。被告の主張とは態様が異なる。すなわち、被告主張の時刻ころ、原告を含む組合員らが同課長を取り囲むようになったのは同課市内八区順立だな裏側(キーボックス)付近においてである。また、その後同課長は数名の組合員に取り囲まれるようにして同課四班・五班の間の通路を移動し三浦副課長席に赴いたものである。また、「この件で分会会議を開くから集まってくれ。」との発言は池田書記長の発言である。
(二) 昭和四九年三月二八日午後の事実
冒頭の事実のうち、原告を含む組合員らが山崎課長に対して集団抗議を行ったこと及びその際管理者らが組合員らに対し退去・解散命令を発したことは認めるが、その余は否認ないし争う。原告は右抗議行動においても指導的役割を果していない。
(1)の事実のうち、被告主張の午後四時一五分ころ、同課長が自席にいたこと、そこに原告を含む組合員約四〇名が菊地に対する年休不付与の件について抗議したこと及び同課長が解散命令を発したことは認め、その余は否認ないし争う。午後四時二一分ころの原告の行為は否認する。原告はこの間終始河村課長代理席付近にいたもである。
(2)の事実のうち、被告主張の午後四時三九分までの間、原告を含む約四〇名の組合員らが自席にいる同課長に対して抗議を続行したこと、三浦副課長が退去・解散命令を発したこと及び同課長が速配順立コーナー付近に赴いたことは認め、その余は否認ないし争う。
(3)の事実のうち、被告主張の午後五時一七分ころ及び同一八分ころ、原告を含む組合員が被告主張の趣旨の唱和をした事実は認め、その余は否認する。右シュプレヒコールは池田書記長の音頭によるものである。
(三) 昭和四九年四月四日の事実
冒頭の事実のうち、原告を含む組合員らが岩崎課長代理に対し、全逓加入の勧誘・説得をしたこと及びその際管理者が解散命令を発したことは認め、同人が全郵政組合員であったことは不知、その余は否認ないし争う。原告は、右行動においても指導的役割を果たしていない。
(1)の事実のうち、被告主張の時刻ころ、原告が約二〇名の組合員とともに、同課長代理席に赴き、同課長代理に対し全逓加入の勧誘・説得をしたこと及び山崎課長から組合員らに対し解散命令が発せられたことは認め、その余は否認ないし争う。
(2)ないし(4)の事実のうち、被告主張の時刻ころ、同課長代理が自席で執務をしていたこと、同課長代理が結果的に速達一区順立だなと中央柱付近において取り囲まれるような形になったこと、そこで同課長が囲みを解き、通路を開けるようにとの命令を組合員らになしたこと、その後同課長代理が自席に戻ったこと、その同課長代理を原告を含む組合員が取り囲むようにしたこと及び同課長が組合員らに対し解散命令を発したことは認め、その余は否認ないし争う。
同課長代理は自席で事故郵便物についての区分作業が終了した後、同郵便物を入れるファイバーを取りに(もちろん、この時には郵便物は所持していない。)五班通路方向に向かい、速達一区と中央柱付近で空のファイバーを発見し拾おうとしたところを後から続いて来た組合員らに取り囲まれるような形になったが、同課長が通路を開けるようにとの命令を発した際、これに従った組合員らの間を通り抜けて自席に戻り執務を続けたものである。
(5)の事実のうち、被告主張の時刻ころ、原告を含む組合員らが同課長代理席付近を去ったことは認め、その余は否認する。原告を含む組合員らは菊地の指示により現場を去ったものである。
(四) 昭和四九年四月一七日の事実
冒頭の事実のうち、管理者が、原告を含む組合員に対し、解散・退去命令を発したこと及び原告を含む組合員らが一時間程度山崎課長に対し抗議を行ったことは認め、その余は否認ないし争う。原告は本件行為においても指導的役割を果たしていない。
(1)の事実のうち、清水局局長が集配課職員五名の昇給発令を保留したこと、山崎課長から右五名に対しその理由等について庶務会計課長から聞くよう通知したこと(但し、それは同月一〇日ころである。)は認め、その余は不知。
(2)の事実のうち、同月一七日午後四時五五分ころ、原告を含む組合員約四〇名が今村主事席にいる山崎課長を取り囲み、前記定期昇給の発令保留に関しその説明を求めたが、同課長が頑な態度に終始したため結果的に集団抗議の様相を帯びたこと及びこの間に原告においても同課長に対し五名の昇給が保留された経過についての納得のいく説明を求めたことは認め、その余は否認ないし争う。同課長に対する説明を求める口火を切ったのは、発令保留を受けた五名中の一名である菊地であり、「そろそろ立たせようか。」と発言したのは斎藤陽である。
(3)の事実のうち、被告主張の時刻ころ、同課長が一六区順立だな付近まで押し出されたことは認め、原告以外の組合員が蛍光灯を消したりブラインドを降ろしたりするなどの行為をしたことはあるが、詳細については不知。その余は否認ないし争う。同課長が移動したのは、原告の発言に呼応した青島の行為によるものではなく、森田順司の発言等に呼応した青島が、同課長の両脇に手を入れてくすぐり、一六区順立だな付近に押し出したものであって、原告はこの間終始同主事席前にいたものである。
(4)の事実のうち、被告主張の時刻ころ、原告がシュプレヒコールの音頭を取って組合員に唱和させて抗議を締めくくったたことは認め、原告が「明日からは一切業務には非協力でいくから頼むよ。」との発言をしたとの主張は否認する。
原告が右シュプレヒコールの音頭をとったのは池田支部書記長の指示によって行われたものである。
(五) 昭和四九年七月二三日の事実
冒頭の事実のうち、原告を含む数名の組合員が概ね被告主張の時間就労をしなかったこと及び山崎課長が就労・解散命令を発したことは認め、その余は否認ないし争う。原告は、本件行為においても指導的役割を果たしていない。
(1)の事実のうち、三浦副課長が被告主張の日時ころ松下の所属班の変更についての説明を行ったこと、同人が同副課長の説明に納得しなかったこと、同人に対して当日時間外に再度話し合うと申し向けておいたこと、同副課長が同日午後四時ころ松下宅へ電話したが、同人は不在であったこと、その後同人が同副課長へ被告主張の趣旨の電話を入れたこと、集配課外務職員の定員が被告主張のとおり減員になったこと及び被告主張のとおりの配置換え又は転任が行われたことは認め、同副課長が松下に対し翌日手すき時間に話し合いをする旨伝えたとの主張は否認し、その余は不知。
なお、被告は、「同課長が本人の理解を得た上で、(所属換を)行った方が望ましいと判断し」と主張するが、実際に三浦副課長が松下に対して行っていたのは、松下の希望に反し組合側に知られないうちに密かに所属換を納得させようというものであった。また、被告は職員の転出等の結果、集配課各班別の配置計画人員に不均衡が生じたと主張しているが、当局はこれらの事項は管理運営事項であるとして、職員に知らせたことがないので判らないものである。
(2)の事実のうち、松下が、被告主張の時刻ころ、自席にいる同副課長に対し被告主張の趣旨の発言をしたこと及び原告が被告主張の趣旨の発言をしたことがあることは認め、その余は否認ないし争う。原告は、松下とともに同副課長席に赴いたものではなく、松下の声を聞きつけ、同副課長席に赴いたものであり、両名のやり取りを理解した後右発言をしたものである。
(3)の事実のうち、同課長が原告に対し就労するよう命じたこと及び原告が概ね被告主張の時間就労しなかったことは認め、その余は否認する。同日、松下ら数名の組合員らによつて同副課長に説明を求めた時間はせいぜい午前七時三〇分すぎころから同四五分ころまでの間の一五分程度にすぎず、集団抗議というべきものではない。
2 抗弁2の事実については、(一)~(五)の処分が発令された事実は認めるが、その余は争う。
3 抗弁3は争う。
五 原告の主張
1 不当労働行為該当性
(一) 郵政省は、昭和三三年のいわゆる三公社五現業における団交再開闘争以来、一貫して全逓敵視の労務政策をとっていたが、同省が全逓に対して労使関係改善を約束した「一二・一四確認」(昭和四五年一二月一四日)の直前から、被告東海郵政局による全逓敵視政策及び組織破壊攻撃がなりふり構わず展開され、清水局においても、昭和四八年鈴木嘉夫局長が着任した後、これが更に強化されるに至った。そして、本件処分事由である各抗議行動等が行われたころ、清水局においては、郵政省により支部団交否認政策の徹底が図られており、支部からの交渉要求をことごとく拒否されたため、組合側は止むなく集配課長らの管理者に対して集団交渉ないし集団抗議に及んだ。そして、右各抗議行動等は、このような状況の中で、以下のとおり、清水局の管理者らの違法不当な措置に対する対抗的行動としてされた正当な組合活動というべきである。すなわち、
(1) 昭和四九年三月二八日午前の事実
本件当時、清水局集配課では、年休の取得がきわめて困難であり、私用などのため必要な場合にも時間休の付与にとどめられることが多い状態であった。本件において年休を請求して拒否された菊地の場合も、清水支部青年部長の地位にあって休暇の必要性が多いにもかかわらず休暇を取得できないことが多く、年度末直前の本件当日でさえ未取得の年休を残している有様であった。このため、支部は、当局に対し、繰返し年休の取得を容易ならしめるための措置をとることを要求したが、事態は改善されないでいた。
菊地の請求した時間休は、勤務時間終了前の一時間についてであった。前記のような状況の中で、このような業務に及ぼす支障の比較的軽度な時間休は、取得が認められるのが通例であったにもかかわらず、菊地の本件請求を受けた山崎課長、三浦副課長は、単に同人の担当する集配区に郵便物の滞留があることのみを理由としてこれを拒否した。
しかし、菊地の年休の後補充要員を用意することが不可能な状態にあったとは到底考えられないうえ、たとえ補充要員を用意することができないとしても一時間程度の短時間の年休による郵便物の滞留の増加はやむを得ないものと考える余地もあるのに、同副課長が納得のできる理由の説明もせずに付与を拒否したところから、菊地は山崎課長らに対し語気を強めて再考を求めたのである。年休付与を拒否し、再考の要求に応じなかった同課長らの態度は明らかに違法不当であった。その後、蒔田庶務会計課長でさえ山崎課長らが時間休を付与しなかったことを不当と考えていることを窺わせる発言をしている。
他方、組合員にとっては、従来比較的取得しやすかった時間休でさえ拒んだ上に、納得できる理由さえ説明しないという山崎課長らの態度は到底納得できるものではなく、後日、自らの年休取得にも影響する事態として黙過することができなかった。そこで、原告ら組合員は再考を求めるため同課長席などに赴き、菊地への年休付与を要求する発言をしたのである。
以上のとおり、本件は、山崎課長の菊地に対する年休請求に対する違法不当な措置・態度を原因として生じたものであり、当時の年休取得状況からいって、菊地はもとより他の組合員がこれに納得できず再考を求めたことは当然である。
(2) 昭和四九年三月二八日午後の事実
菊地に対する年休不付与が違法不当であったことは、前記のとおりである。
ところで、当時、郵政省は、支部・職場段階における団体交渉事項としては、労基法二四、三六条に基づく協定しかないとの見解をとり、支部・職場における交渉を実質的に拒否していた。このため、本件のような当局側による違法不当な措置が発生しても、正常な労使の話合いによる事態の解決は不可能であり、組合側には、集団的な交渉、集団的な抗議によって対抗するほかに手段がなかった。
しかるに、組合員らが話合いを求めてきたのに対して、山崎課長はこれに応じようとはせず、解散・退去のみを命ずるという態度をとった。このため、組合員が反発して抗議に及んだものであり、原告もその一部に加わったが、その原因は同課長の組合無視、職員無視の違法不当な態度にあり、これに対抗するために行った原告らの行為は正当な組合活動であったことが明らかである。
(3) 同年四月四日の事実について
全逓静岡地区本部は、昭和四七年地区大会において郵政省の第二組合づくり全逓破壊攻撃から組織を守るため、組織の全力を挙げて組織拡大運動に取組むことを決定し、以来各支部において全郵政組合員及び未組織職員に対する多様かつ多面的な説得活動が展開され、各支部において相当な成果を挙げつつあった。清水支部においても、郵政省の全逓破壊攻撃のため、昭和四六、七年ころには四〇名余りの脱退者を数えたが、支部挙げての組織拡大運動の結果、脱退者の全逓復帰が相次ぎ、本件当時には全逓に加入しない者は岩崎課長代理をはじめとする数名にすぎない状態となっており、完全結集を実現するため支部では残りのものに対する説得に全力を傾けていた。
郵政省は全逓敵視政策を採っており、御用組合として当局の手により結成された全郵政は、その中で、全逓破壊の先兵として大きな役割を果した。このため、全逓静岡地区本部は、脱退者に対する組織復帰説得行動に全力を挙げたのである。岩崎課長代理に対する復帰説得行動は、このような当局側の組織破壊に対する対抗行為として行われたもので、正当防衛ともいうべき正当な組合活動である。
(4) 昭和四九年四月一七日の事実について
組合員五名に対する昇給保留は、その後、「昇給の欠格基準に関する協約」第一条に定める欠格基準のうち第五項1を適用することを当局側において検討中であったためにとられた措置であることが判明した。
右協約に定める欠格基準としては、1懲戒処分、2休職、3私傷病による病気休暇、4欠勤、5その他の五つがあるところ、右5は、右1ないし4に該当しない場合であっても、「監督者において勤務成績が著しく不良なものと認めた場合」も一号俸以上減ずるというものであるため、客観性、具体性に欠けるところがあり、監督者の判断に恣意の入り込む余地が考えられる。そこで、全逓が郵政省に対してその改正を要求した結果、郵政省は、右基準の運用にあたっては慎重を期せしめるとして昭和四四年三月一五日「昇給の欠格基準について(依命通達)」(郵人給第七二号の四)を発した。右通達においては、第一に、「時間単位による病気休職又は欠勤の回数並びにそれらの累計時間、勤務能率、執務態度あるいは昇給の欠格基準第一の各号に掲げる二つ以上の事由に該当する事実があるにもかかわらず、いずれによるも昇給号俸数で昇給することについての証明を保留するに至らない場合等を総合し、公平かつ厳正に行うものである」との従来の慎重な運用を確認したうえで、更に、「同基準第一の3又は4に定める程度までには至らないが、病気休暇、遅刻、早退欠勤の回数等あるいは作業能率又は日常の勤務態度等を総合的に判断すれば同基準第一の1から4までに該当する場合に匹敵すると認められる者を対象として運用するよう慎重に取扱うこと」と従来にもまして慎重な運用を求めるとともに、「昇給の欠格基準に該当して昇給号俸数で昇給することについての証明が保留されるおそれのある者に対しては、事前に十分指導、注意を行うよう努めること」を指示した。第二には、右基準を適用するについては、予め上局の長の承認を得させることとした。右通達の結果、右基準5を適用される事例は極めて少なくなり、本件当時には職員のほとんどが右欠格基準の存在すら知らないという状態になっていた。
しかるに、本件においては五名の組合員に対し右欠格基準が突然適用されたのである。右適用を受けた職員らに対しては、右通達が指示した「事前の十分な指導、注意」がなされたことは全くないどころか、支部の交渉申入れを拒否したうえ説明を求めた職員に対してさえほとんど何も説明していないのである。
なお、被告は、欠格基準の適用について、職員が異議を申立てた場合は、所定の手続により苦情処理として取扱うべきものであると主張するが右主張は失当である。すなわち、第一は、欠格基準の適用について職員に異議があった場合に、苦情処理手続以外の方法でこれを述べてその再考・撤回を求めることが一切許されないと解するべき何らの理由もないからである。右基準5の第一次的判定者は課長であるから、これに該当するとされた職員がいかなる事実に基づいてそのように判定されたのかを質すことは、むしろ当然であるし、このような質問があったときは、右通達の趣旨からいっても、課長は懇切に説明すべきものである。第二に、苦情処理手続は、右通達の定めるところによっても右基準に該当するものとの最終的判断がなされたのちに開始されるべき筋合であるところ、右組合員五名に対して昇給発令保留の通告がされた当時は、未だ欠格基準適用の可否について検討がなされていた時期であり、苦情処理手続を開始すべき事態には立ち至っていないからである。昇給が保留されている職員にとっても組合にとっても、まず事態を解明することが必要であり、次いで当局側に対して右基準の適用を差し控えるよう求め、それでも、なおかつその適用が決定されたときに初めて職員の異議をどのように取扱うべきかという問題になるのである。第三に、欠格基準の適用についての職員の異議をいかなる手続で処理するかについては、当然に、団体交渉事項と解されるべきところ、これを苦情処理手続にのみ限定することに全逓が同意した事実はないからである。
組合員らが山崎課長に対して本件行為に及んだのは、当局側が組合との交渉を拒んだうえ同課長が管理者として当然なすべき事態についての説明を全くしようとしなかったためであり、その原因は専ら当局側が違法・不当な態度をとったことにある。
(5) 昭和四九年七月二三日の事実について
同日の行動は、当局側が労働組合の存在を無視し、内密に勤務時間外に組合員である松下の自宅に電話を架けるなどして班移動の問題について勤務時間外の話合いを執拗に迫ったことに端を発した抗議行動である。後日、組合側と当局側の交渉が行われ、その席で当局側は、三浦副課長が松下に対して勤務時間外の話合いを執拗に求めた点は相当でなかったとして、同副課長をして松下に謝罪させることを約束し、同副課長は、その直後、松下に謝罪した。また、他の組合員の場合とは異なり、松下に対しては、当日の欠務を理由とする賃金カットも懲戒処分もなされなかったのであり、このことからも同日の抗議行動が正当な組合活動というべきである。
(二) 原告は、昭和四四年八月清水支部青年部長に選任されて以来、組織防衛のための脱退者に対する復帰活動などに、また、昭和四七年八月に集配分会長に選任されてからも、要員不足等の諸問題を改善するために、右支部の活動に積極的に参加し、組合活動上組合員に対して大きな影響力を持っていたもので、清水局当局は、このような原告を同支部の中心的活動家の一人とみなして、以前から強く嫌悪していた。原告に対する本件処分事由たる具体的事実は、そのいずれも原告を含む同局集配課所属の組合員らによる集団的な行動における原告の具体的な言動をとらえたものであるところ、仮に本件各抗議行動等における具体的行為の中には組合活動として正当な行為とは認められないものがあったとしても、右のような経緯、目的の下になされたという事情に鑑みると、これに対する懲戒処分は軽い処分量定をもって臨むのが相当であり、また、これに加わった他の組合員の行動も、多少の差は認められるにしても、処分事由としてこれを素直に観察すれば、原告とほとんど同質同程度というべきものである。それにもかかわらず、同様の行動に及んだ多くの組合員の中で原告のみが懲戒免職とされたのは、当局側において、右のとおり、原告を集配分会組合員の中の最も中心的活動家とみなして嫌悪し、活発な集配分会の組合活動を抑制することをも目的として、原告を職場から排除しようとしたところにあることは明らかである。
(三) したがって、原告に対する本件処分は、労働組合法七条一号及び三号に該当する不当労働行為であるから無効である。
2 労基法二〇条違反
被告は、本件処分を行うに当たり、原告に対し解雇予告も解雇予告手当ての支給もしなかったことはもちろん、行政官庁である所轄労働基準監督署長の解雇予告除外認定をも受けなかった。したがって、本件処分は、同条に違反し無効である。
3 裁量権濫用
(一) 管理者らの違法不当な措置に対する対抗的行動を処分事由とするものであること
前記のとおり、本件処分事由である各抗議行動等は、当局側の違法不当な措置を基本的要因として発生したものであり、かつ、このような措置がとられなければ発生するはずのないものである場合において、その違法不当な措置に抗して、それに抗議する行動を理由とする懲戒処分は、たとえその言動が形式的には懲戒事由に該当するとしても、処分量定に当っては、衡平の観点からして、十分に斟酌されるべきである。しかるに、本件処分はそのような観点を全く無視してされた、不当に苛酷なものである。
(二) 他の組合員らに対する処分量定と比較したとき著しく均衡を失した苛酷なものであること
懲戒免職は、職員に重大な不利益を科するものである以上、これをなすべき必要性は充分に検討されなければならず、処分量定は均衡を失したものであってはならない。
本件懲戒事由たる行動には多数の組合員が参加しており、それぞれ懲戒されたが、原告のみが懲戒免職とされ、次に処分量定が重かったのが菊地に対する停職二か月であり、その次は停職一か月であり、その他は減給以下であった。
特に、菊地に対する懲戒処分事由は、原告に対する本件処分事由たる行動のすべてに参加したことのほか同年二月二八日における業務命令違反等三行為を加えたものであり、その具体的言動をみると原告のそれよりも重い責任を問われてしかるべきものとさえ考えられる。それにもかかわらず、原告及び菊地に対する処分に差が生じたのは、各行動における原告の指導の事実が重視されたことにあると考えられるが、原告の指導について、事実それ自体及びそれが持つ意味において疑問があるだけでなく、菊地の行動は極めて積極的であるうえ指導と称すべき行為も認められることなどからして、極めて恣意的な認定というべきである。すなわち、原告は、本件当時清水支部集配分会の分会長の地位にあったが、このことのために各行動の際における原告の行動を左右した事実はない。それは、分会長の権限、任務は、分会組合員に対する指導権を認めるものではなく、組合員はこのことを知悉していたからであり、組合活動における指導は、組合規約及びこれに基づいて決定された活動方針に裏付けされたものでなければ組合員の行動を指揮統制することはできず実際上無意味であるからである。他方、菊地は当時清水支部青年部長の地位にあり、規約上も支部執行委員会の一員として組合活動を指導する責任を負う立場にあった。また、原告が集団抗議及び集団説得を指導したとされる具体的事実について、それがこれらの行動に及ぼすべき影響を検討したところによると、原告の指導とされる行為は、これらの行動を助長、促進させる意味をほとんど有していない。
したがって、原告の指導の事実をもって、本件処分と菊地に対する懲戒処分との差異を肯認すべき合理的理由ということはできないのであるから、菊地に対する処分と著しく均衡を失したものであり、本件処分は懲戒権を濫用した違法なものというほかない。
六 原告の主張に対する被告の反論
1 不当労働行為該当性の主張に対する反論
(一) 原告らの本件各抗議行動は正当な組合活動であるということは到底できないばかりでなく、それについて清水局管理者に違法不当な点が存しなかったことは以下のとおりである。また、原告は、昭和三三年までさかのぼり、当時の団交再開闘争以降の郵政労使関係の背景を述べ、郵政省、東海郵政局及び清水局において全逓を敵視する対応があった旨主張しているが、本件処分とは一切無関係であり、本件懲戒処分を不当労働行為とする論拠とは全くなり得ない。
(1) 年休不付与について
菊地の年休の補充の検討に当たって、山崎課長は、二一区の通区能力のある職員の服務差繰りも検討したが、岩崎課長代理は他の仕事があり、当日速達郵便を担当していた岡野好展についても速達郵便物の量が多かった等の状態であったことから全体に差繰りがつかないと判断したものである。また、非常勤職員についても、菊地の担当する二一区には大量の滞留郵便物があったため、前日からその確保に努力していたところであるが、これについても確保できない状態にあったもので、原告の主張は何ら根拠がないものである。
右のとおり菊地が担当する二一区は、前日からの滞留郵便物が多く、二八日朝の時点でその数は二六〇〇通となっており、同区の一日当たりの配達数が一二〇〇通程度であったことから、正常に配達を行ったとしても二日あるいはそれ以上の日数を要する状態であった。加えて、同区は会社の事務所又は本社が多数あり、郵便物が遅れ滞留すると影響の大きい地域であったため、二六〇〇通もの郵便物について少しでも滞留を解消させるため一通でも多く配達する必要があったものである。
したがって、菊地に年休を付与できなかったのは、単に担当区の郵便物に滞留があったという理由のみではなく、同区の地域性及び滞留郵便物の数量等を考慮の上付与できないとの判断に至ったものであり、原告主張のように、単に一時間程度の年休であるからそれによる郵便物の滞留の増加はやむを得ないなどと考えるのは甚だ失当である。
(2) 交渉拒否について
原告は、本件各行為の背景として、当時職場に生起する諸問題について労使が交渉する場が全くなく、管理者の職場における交渉拒否は違法、不当なものである旨主張するが、本件当時には、郵政省と全逓の間で締結された折衝に関する覚書による折衝ルールに基づき、団体交渉とは別に支部折衝及び局所折衝が行われており、同局においても同様にこれら折衝の場があったもので、この労使の合意による同ルールにのっとり相互理解を深め、問題解決を行う方法があったものである。したがって、原告のいう職場に生起する諸問題についても、折衝に関する覚書に定める条件を満たすものについては支部折衝としてできたものである。ところで、本件集団抗議の要求内容は、諸休暇付与、昇給に関する証明保留及び配置換問題等であり、諸休暇の付与については個別的労務指揮権の行使に関する事項として、また配置換については個別的人事権の行使に関する事項として、ともに支部折衝になじまないものとされており、この点については、全逓本部もほぼ同趣旨の内容を下部指導しているものであり、本部においてこれら個別的案件につき、現場での集団抗議により解決するよう指導していたものではなく、本来労使間での意思疎通を必要とするものではないものであって、原告の主張が正当化されるものではない。
更に、昇給に関する証明の保留問題については、当該職員が不平不満を有する場合の郵政省における異議申立の手続等としては、苦情処理制度が存するところである。すなわち、「昇給の欠格基準に関する協約」付属覚書の三において「協約第一条第五号の一により、証明を保留されたため昇給号俸数で昇給しなかった職員が異議を申し立てた場合は、所定の手続により、苦情処理として取り扱うものとする。」と定められ、公労法一二条及び郵政省と全逓との間に締結されている「苦情処理に関する協約」に基づく苦情処理委員会の制度によって解決を図ることとされているものである。したがって、本件昇給の証明保留を検討のため昇給発令を保留された集配課職員五名が、これについて不平不満を有しているのであれば、昇給の証明保留が確定後、右苦情処理制度に基づく平和的解決手段によって救済を求めるべきものである。このような手続を経ることもなく、実力行使によって問題の解決を求め、その際、管理者に対して集団抗議を行うなどした原告の非違行為が正当化される余地はない。
(二) 本件処分は、原告の著しい公務秩序びん乱等の個別具体的かつ明白な非違行為の事実を慎重に検討した結果行ったものである。したがって、全逓の積極的かつ熱烈な活動家で、清水局職員に強い影響力を持っていた原告を職場から排除するために本件処分に及んだとする原告の主張は、原告の非違行為事実を否定せんがための弁疏にすぎないものであり、本件処分は何ら不当労働行為性を有するものではない。
2 労基法二〇条違反の主張に対する反論
同条三項に定める解雇予告手当除外認定手続と懲戒免職処分とは異なるものであり、所轄労働基準監督署長の解雇予告手当除外認定の有無が懲戒免職処分の効力を左右するものではない。つまり、右認定処分は、使用者の恣意による不当な即時解雇を防止しようとする行政監督手続であり、解雇予告手当除外事由に該当する事実が存在するか否かを確認する処分にすぎないものである。したがって、この認定処分は、解雇の効力発生要件ではない。
また、同条一項但書は、「労働者の責に帰すべき事由」に該当する場合は、解雇予告も解雇予告手当の支給も必要ない旨規定しているが、本件処分は、原告の著しい公務秩序びん乱等の非違行為という懲戒事由に照らし免職処分に付したものであって、それはまさしく右規定にいう「労働者の責に帰すべき事由」に該当するものであることは明らかである。したがって、原告に対する本件処分に際して、解雇予告も解雇予告手当の支給も必要ないものであり、原告の主張は失当である。
3 裁量権濫用の主張に対する反論
(一) 管理者の違法不当な措置への対抗的行動である旨の主張に対する反論
前述のとおり、本件処分事由である各抗議行動等に関して清水局当局の措置等について違法不当な点は全く存しない。
(二) 他の組合員らに対する処分量定との比較論に対する反論
原告に対する本件処分事由となった非違行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等は、他の参加した組合員らの中にあって最も著しいものであり、もちろん菊地のそれとは大きく異なるものであることから、これを同じものとして評価し得るものではないことは明らかであり、加えて、原告は本件非違行為に及ぶより前に四回の懲戒処分を受け、中でも昭和四六年一〇月一六日付け及び昭和四八年一一月三〇日付け処分では、本件と同種の非違行為を行い、あるいはこれを指導したことによって、それぞれ減給一〇月及び減給二月の懲戒処分を受けたものであり、再び非違行為を繰り返すことのないよう将来を厳重に戒められていたにもかかわらず、これに対する反省の色が微塵もなく、本件非違行為に及んだことから、これら一切の事情を総合判断して原告に対して本件処分を行ったものである。
したがって、原告が、原告の非違性の程度と菊地のそれとが同程度若しくはそれ以下であることを前提として、原告に対する本件処分は均衡を失したものである旨主張すること自体、そもそも前提において失当である。なお、過去の処分歴を比較しても、原告の方がはるかに重大である。
第三証拠
本件記録中の証拠目録記載のとおり(略)。
理由
第一 請求原因1及び2の各事実は当事者間に争いがない。
第二 抗弁について
一 昭和四九年三月二八日午前の事実について
1 原告が昭和四四年八月に全逓清水支部の青年部長に選出され、昭和四七年八月以来同支部集配分会長の地位にあったこと、菊地が被告主張のとおりの年休請求をしたこと、山崎課長が被告主張の時刻ころこれを付与しない旨菊地に通告したこと、菊地がこれを不服として付与されない説明を求めたこと、原告が勤務時間中である被告主張の時刻ころから菊地に対する年休不付与につき同人を含む組合員らとともに抗議したこと、三浦副課長及び山崎課長が原告を含む組合員らに対して就労を命じたこと、被告主張の時刻ころ原告を含む集団抗議参加の組合員らが解散し就労したこと、午前一〇時八分ころ菊地が被告主張の趣旨の発言をして山崎課長の後を追ったこと、その後再び原告を含む組合員が同課長に抗議をしたこと、午前一〇時三八分ころ原告を含む組合員が就労したことはいずれも当事者間に争いがない。
右争いがない事実と、(証拠・人証略)を総合すれば、以下の事実を認めることができ、(人証略)の各証言、原告本人尋問の結果並びに(証拠略)中右認定に抵触する部分は右各証拠に照らして採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
同日朝、菊地が同日午後二時三五分から同三時三五分までの一時間の年休を請求したが、山崎課長及び三浦副課長は、検討の結果、時季を変更する旨通告した。しかし菊地は納得せず、午前九時一三分ころから年休が付与されない理由の説明を執拗に求めたため、山崎課長が配達区別の処理状況を記録した郵便業務運行記録表を示して、申請どおりには年休を付与できない理由を説明したが、これにも納得せず、なおも大声で抗議を続け、同課長の就労命令にも応じない状況であった。
これを聞きつけた原告は、同一八分ころ、六、七名の組合員の先頭に立って山崎課長席付近に赴き、同課長らの就労命令や賃金カットする旨の警告に対し、「三浦、お前がウンと言えば済むことだぞ。とろいこと言っとるとブツがたまるぞ。お前がためるんだぞ。」、「賃カツだと、やれるもんならやってみろ。賃カツをこわがるおれっちかよ。」「三浦、お前はバカだなあ、時間内だからやるんだ。」などと述べ、これに呼応する組合員らと共に抗議を続けた。更に、原告は、同三三分ころ、岩科に対して、「とてもじゃないが、らちがあかん。若い衆を呼んでこい。」などと指示し、岩科の呼び掛けであらたに参加した者らの合計約十数名とともに、「山崎、ちゃんと答えろ。承認しさえすればすぐ解散するだよ。一号便を完配しなければ年休を与えないのかよお。」などと述べ、他の組合員も、口々に菊地に年休を付与するよう要求したりした。そして、原告は、同三八分ころには、電話の応対に出ていた池谷副課長から電話中につき静かにするよう注意を受けるや、「こういう馬鹿な管理者がいることを公衆に分かって貰った方がいい。」などと言ったため、これに呼応して電話の受話器に顔を近づけて騒ぐ者も出た。この後同五八分ころ、原告は、「さあ、みんな、もう一度菊地君に課長から説明させたいから、この辺で引き揚げよう。」と述べて、一旦、抗議参加者を解散させ就労した。
このため、山崎課長は、菊地に対し、再度年休の時季変更の理由を説明したが、同人は納得せず、山崎課長は説明を打切って就労を命じ、自席から第一班順立コーナー付近へ向かったところ、菊地は「おい山崎、まだ説明は終わっちゃいない。逃げるのか。」と言いながら同課長の後を追ったところ、同一〇時九分ころ、これを聞きつけた原告は、数名の組合員とともに市内一区順立だな裏側付近において同課長を取り囲んだ上、「山崎、菊地が聞きたいと言っているのに逃げるのか。」などと述べて、集団で抗議を始めたが、その際、原告は、三浦副課長の就労解散命令に対して、「三浦しゃらくさいぞ。」と言って従わず、同副課長が非違行為の現認のメモをとるのを、その胸部を押し付けて妨害した。更に、原告は、山崎課長の背後から「山崎、さあ席に戻るか。」と言いながら、同課長の右肩を手前に引くなどしたため、これを契機として、山崎課長を同課長席へ連れ戻そうとする組合員とこれに応じまいとする同課長とが揉み合いながら市外四区順立だな裏側付近に移動することになり、同一八分ころ、原告が、「さあ、みんな課長をもっと広いところへ連れ出せ。」と呼び掛けたことから、森田耕史が、同課長の背後から両腕を抱え、同課長を第六班順立コーナーと第七班順立コーナー間の通路付近まで押し出した。引き続き、同一〇時一九分ころ、山崎課長が身の危険を感じて右森田の腕を振りほどき第七班順立コーナーを通って三浦副課長席へ向かうと、原告は、同課長の後を追いながら、「さあ、みんな、もう一度集ってくれ。」と大声で呼び掛けたため、同副課長席に着任した山崎課長を、原告の呼び掛けに応じて参集した者も合わせて約一〇数名とともに取り囲んだ。そして、原告は、同課長らの再三の就労命令を無視し、「ちゃんと説明すれば作業につくだよ。」などと述べて集団で抗議を続け、この間の同二七分ころには、青島が所持する集配用カバン内の郵便物を指して「そんなもの破ってしまえ。」などと言ったことを池谷副課長から注意されたりもした。その後、原告は、同三八分ころ、釜田に対し、「おい釜田、今日は緊急分会会議を招集して時間外にまた集団抗議をやらざあ。」と呼び掛け、他の抗議参加者に対して「さあ、みんな、御苦労さん。今日はこの辺で解散しよう。時間外は分会会議を開くからみんな集まってくれ。」と指示して解散させ、自らも就労した。
2 右認定の事実によれば、原告は、多数の組合員を指導して、長時間にわたり山崎課長らに対する集団抗議を行い、同課長ら管理者による再三の就労命令に従わず、右組合員らにその勤務を欠かせ、自らも合計五四分間みだりに勤務を放棄して欠務し、更に右管理者に対して暴力的行為を行い、暴言を吐くなどして、職場の秩序を著しくびん乱したというべきである。
3 原告は、原告が岩科に対し組合員を抗議に参加させるように指示し、右指示に応じて抗議参加者が加わったことはない旨主張し、(人証略)及び原告本人の供述中には、これに沿う部分が存する。(人証略)によれば、同人は隣にいた者の指示により他の組合員を右抗議に参加させる呼び掛けを行ったというのであるから、同人に対してそのような指示がされたことは明らかであるところ、その指示が原告によるものではなかったとする(人証略)は、その指示をした隣にいた者については誰か分からないと述べるなど曖昧であるのみならず、右各証拠は、原告が右抗議に参加した時期、抗議中のその位置などの点について食い違いがあり、かつ、その間の原告の言動については曖昧な部分が多く、採用することはできない。なお、原告は、右三浦ら当局側の者が作成した現認書は、原告を処分するために、虚偽あるいは事実を誇張したものであるとして、その信用性を争うが、(人証略)によれば、右現認書(<証拠略>)は、いずれも、当日取ったメモや記憶を基にして近接した日に作成したものであると認められること、その記載内容も具体的であることなどからすれば、基本的にその信用性を認めるのが相当であり、その信用性を全面的に否定することはできない。そして、このことは他の現認書についても当てはまる。
4 原告は、「広いところへ連れ出せ。」との発言は、当時参加者が山崎課長を取り囲む状況にはなかったことなどからそのような発言をする必要性もなかったとか、「さあみんな、もう一度集ってくれ。」との発言については、山崎課長の現認書である(証拠略)には「花田の手まねで集まり」と記載されているに過ぎないから、原告が大声でそのような発言をした旨の(証拠・人証略)は措信できない旨主張する。しかし、前者の発言については、(証拠略)の記載はその前後の事情を含めて極めて具体的であって、不自然な点はないから十分措信でき、また、後者の発言についても、山崎課長作成の現認書と三浦副課長作成の現認書の記載は、原告が他の者へ呼び掛けをした点では一致しており、原告が声で呼び掛け、また、手招きで呼び寄せるという招集行為の一部をそれぞれ現認し記載されたものと解しても不自然ではなく、これまた十分措信できるというべきである。
5 また、原告は、集配分会長に過ぎない原告には、組合組織上、指導権限はなく、右集団抗議を指導していたのは、支部書記長である池田であり、現に、解散を呼び掛け、午後に開催する分会会議への参加を求めたのも池田であって、原告ではない旨主張し、(証拠・人証略)中にはこれに沿う部分が存する。
しかし、本件当時、原告は全逓清水支部集配分会の分会長、池田は同支部書記長、菊地は同支部青年部長であったことは当事者間に争いなく、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる(証拠略)によれば、全逓静岡地区本部において、分会長は、支部執行部不在の際の職場交渉において分会を代表する権限をもつとともに、支部または地区本部より要請された指導権の範囲内でのみ指導権を有するものとされているが、(人証略)及び弁論の全趣旨によって認められる、右集団抗議行動は、菊地に対する年休の時季変更により集配課内において突発的に発生したもので、支部執行部の要請とか指導に基づくものではないこと、また、原告は、池田より年長で在職期間が長いばかりでなく、組合役職歴も豊富で、青年部長当時には、池田は同部員であったことなど、原告の組合活動上の実績と経験に照らし、また、(証拠略)によれば、分会会議の招集権限は支部長と分会長が有するものとされているのであるから、分会長である原告が分会会議を招集する旨の発言をしても不自然ではないことなどに照らすと、原告が右集団抗議を指導したとしても不合理ではない。したがって、分会長である原告が右集団抗議を指導することは有り得ないことを根拠とする右各証拠は採用できない。
更に、原告の欠務時間が他の参加者と比べて特に長くなっていないことを原告の指導性を否定する事情ということはできない。
二 昭和四九年三月二八日午後の事実について
1 同日午後四時一五分ころ、自席にいた山崎課長に対し、原告を含む集配分会組合員約四〇名が菊地に対して年休が付与されなかった件について抗議したこと、これに対し同課長が解散命令を発したこと、原告を含む約四〇名の組合員らが自席にいる同課長に対して同三九分ころまでの間抗議を続行したこと、三浦副課長が退去・解散命令を発したこと及び山崎課長が速配順立コーナー付近に赴いたこと、午後五時一七、一八分ころ、原告を含む組合員が被告主張の唱和をしたことはいずれも当事者間に争いがない。
右争いのない事実と(証拠・人証略)を総合すれば、以下の事実を認めることができ、(証拠・人証略)右認定に抵触する部分は採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
昭和四九年三月二八日午後四時一五分ころ、原告は組合員約四〇名の先頭になって、自席で執務中の山崎課長を取り囲み、同課長に対し、「おい、課長、今日のやり方に全員が怒っている。どうしてくれるんだ。」などと発言して抗議の口火を切り、同課長の再三にわたる解散命令を無視して抗議を続けた。その際、原告は、同課長席に向かおうとした池谷副課長を認め、「こんなのをこっちへ入れるなよ。」と組合員に指示したため、釜田は、これに応じて同副課長の前に立ちはだかり抱え込むなどした。また、同一八分ころ、メモを取ろうとした同副課長に対し、「池谷、お前スパイするのか。」と言いながら、その前に立ちはだかって胸部を接近させて妨害し、更に代わってメモを取ろうとした河村課長代理に対しても、妨害行為をした。その後、同三九分ころ、原告は、「広いところへ連れ出すか。」と指示したため、これに応じて、青島らが同課長の机を前方に移動させ、森田耕史らが同課長を背後から抱き上げるとともに椅子を引いて、同課長をその場に立たせた。そして、原告は、菊地らとともに山崎課長を取り囲んで同課速達順立コーナー付近に押し出し、その場で同課長を取り囲み、三浦副課長が発した解散・退庁命令に対しても、「うるせい、三浦だまっとれ。」と言い、抗議を続行した。そして、同五時一七分ころ、原告は、「みんな、御苦労さん。今日はこの辺でやめよう。シュプレヒコールで結ぼう。」と指示し、「年休制限をやめろ。」、「不当処分を撤回しろ。」「集配分会は闘うぞ。」などのシュプレヒコールの音頭を取って組合員に唱和させ、同一八分ころ、「御苦労さん、明日からも頑張ろう。」と言って、組合員を解散させた。
2 右認定の事実によれば、原告は、多数の組合員を指導し、庁舎事務室において、管理者の再三にわたる解散・退去命令を無視して、長時間にわたり山崎課長ら管理者に対して集団抗議を行い、管理者に対して暴力的行為を行い、暴言を吐くなどして、職場の秩序を著しくびん乱したというべきである。
3 なお、被告は、原告が、午後四時二一分ころ、「課長説明しろ。ちょろいちょろい。」と言いながら肘で山崎課長の肩を二、三回打ち下ろした旨主張する。山崎課長作成の現認書である(証拠略)には、その旨の記載が存するが、三浦副課長の現認書である(証拠略)によれば、原告は、その時点では、同課長席から離れ、河村課長代理席付近にいた旨の記載があり、そのころ原告が同席から同課長席付近に戻ったことを裏付けるに足りる証拠はなく、また、山崎課長は取り囲んだ者との対応に追われていた状況であったのに対して、三浦副課長は当時の状況を現認するために事態を観察する立場にあったことからすると、同副課長の記憶の方が正確であったものと解するのが相当であるから、(証拠略)の右記載は採用できず、他に右時刻ころに原告が同課長に対して右のような暴行を加えたことを認めるに足りる証拠はない。
4 原告は、「広いところへ連れ出すか。」と言ったのは森田順司であり、また、同課長をその席から速達順立コーナー付近に押し出した際には、河村課長代理席付近にいたのであるからそれに関与することは不可能である旨主張し、(証拠・人証略)にはこれに沿う部分が存する。
しかしながら、河村課長代理の席と山崎課長の席とは同課長席前にある通路を挟んで隣り合っており、また、(証拠略)によれば、当時森田順司は自席にいる同課長の横にいたというのであるから、山崎課長、三浦副課長において、右発言をした者を森田順司と当時河村課長代理席にいた原告とに誤認するような状況にはなかったこと、また、右の山崎課長と河村課長代理の席の位置関係及び三浦証言により認められる当時の山崎課長席付近の状況からすれば、原告が、同課長をその席から速達順立コーナー付近に押し出す行為に関与したことも不可能であるとはいえず、右各証拠は採用できない。
5 また、原告は、右集団抗議は、集配分会会議の決定に基づくものであるから、その指導は、支部書記長の権限に基づき池田がとったもので、現にシュプレヒコールの音頭を取ったのも池田である旨主張し、(証拠・人証略)には右主張に沿う部分が存する。そして、右各証拠によれば、右集団抗議が、集配分会会議における決議によるものであることが認められる。しかしながら、右集団抗議は、集配分会における行動であり、前示のとおり、原告は午前の集団抗議を指導したもので、右分会会議を招集し、司会をしていたものであることなどからすれば、右午後の集団抗議も原告が指導していたとしても不自然、不合理ではないというべきである。これに反して前同様に組合組織における分会長に過ぎない原告にはそのような権限がないことを根拠とする右各証拠は採用できない(なお、原告が主張するように、右午後の集団抗議が支部書記長である池田の判断だけで支部執行部の指導の下における集配分会としての行動となるのであれば、原告の前記行為は、その池田の容認の下に行われたものであるから、分会長は支部執行部から要請された指導権の範囲内でのみ指導権を有するとの組合組織上の観点からしても、原告は、前記抗議行動においては、執行部の要請を受けた範囲内における指導権を有していたものと解することもできるから、その点からも右原告の主張は採用できない。)。そして、前記認定した原告の言動を総合すれば、原告が右集団抗議を指導したことは明らかである。
三 昭和四九年四月四日の事実について
1 原告を含む組合員らが岩崎課長代理に対し、被告主張の時間ころ、原告が約二〇名の組合員とともに同課長代理席に赴き、同課長代理に対し全逓加入の勧誘・説得をしたこと、山崎課長から組合員らに対し解散命令が発せられたこと、被告主張の時間ころ、同課長代理が自席で執務をしていたこと、同課長代理が結果的に速達一区順立だなと中央柱付近において取り囲まれるような形になったこと、そこで山崎課長が囲みを解き通路を開けるようにとの命令を組合員らになしたこと、その後同課長代理が自席に戻ったこと、同課長代理を原告を含む組合員が取り囲むようにしたこと、山崎課長が組合員らに対し解散命令を発したこと、被告主張の時間ころ、原告を含む組合員らが同課長代理席付近を去ったことは当事者間に争いがない。
右争いがない事実と(証拠・人証略)の結果、(証拠略)右認定に抵触する部分は右各証拠に照らして採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
岩崎課長代理が、午後三時五四分ころ、自席で事故郵便物の検査処理を行っていたところ、原告は、約二〇名の組合員の先頭になって現われ、「さあ、犬狩りをやらざあ。岩はおるか、岩は。」と言いながら、同課長代理を組合員とともに取り囲み、「岩、まだ全郵を脱退しないか。」、「お前のような馬鹿がよく課長代理になれたなあ。」、「いつ全郵を脱退するんだ。早く脱退しろ。犬、残飯あさり。」などと言ったり、肘で同人の体を小突いたりしたため、同課長代理の執務は中断状態となった。山崎課長らは再三にわたり解散・退去命令を発したが、原告らは従うことなく、同四時ころ、原告らは、郵便物を持ったままの同課長代理を市内一三区順立だな付近まで押し出し、その際、原告は、落した郵便物を拾おうとかがんだ同課長代理の背部をひざで突いたりした。その後、原告らは、同課長代理を速達順立コーナー付近に押し出して取り囲み、一旦は山崎課長が同課長代理を自席に連れ戻したものの、原告らは、再び同課長代理の耳元で大声を発して脱退を強要したりしたのち、同二〇分ころファイバーを取りに向かった同課長代理を原告らは速達一区順立だなと中央柱のすみへ押し込んで取り囲み、嫌がらせを続けた。同四〇分ころ、山崎課長が割って入ったため、同課長代理はようやく自席に戻ったが、原告らはなおも同課長代理を取り囲み脱退強要を続けた。同四四分ころに至り、原告は、組合員らに対し、「さあ、他の犬狩りをやらざあ。」と言って、組合員とともに同室を立ち去った。
2 右認定の事実によれば、原告は、多数の組合員らを指導し、管理者による再三にわたる制止、解散命令を無視して、これに従わず、岩崎課長代理に対して暴力的行為に及び、また、侮辱的言辞を弄するなどして、執拗に嫌がらせをし、同課長代理の執務を妨害するとともに、職場の秩序を著しくびん乱したというべきである。
3 原告は、岩崎課長代理が全郵政組合員であることは知らなかったとして、同課長代理に対し「犬」と呼ぶなど罵声を浴びせて、全郵政からの脱退を強要したことはない旨供述する。
しかし、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる(証拠略)によれば、全逓清水支部においては全郵政の組織実態を詳細に把握していたと認められ、同課長代理が全郵政組合員であることを知らなかったとする原告の供述は採用できない。そして、(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、当時、全逓静岡地区本部、特に同浜松支部においては、全郵政組合員を全逓に復帰させ組織拡大を図るため、「犬狩り大作戦」と称する運動を行っており、原告もこれに積極的に参加したと認められることに照らすと、原告が、全郵政組合員である同課長代理に対し「犬」と呼ぶことは不自然でなく、この点の原告本人の供述は採用できない。また、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる(証拠略)によれば、同課長代理は本件後全逓に加入したと認められるが、このことをもって右認定を覆すに足りない。
4 原告は、肘や膝で同課長代理を小突いたことはない旨供述する。しかし、肘で小突いたとの点は、(証拠・人証略)によって、十分認めることができ、山崎課長がその点を現認していなかったことをもって右認定を左右しないというべきであり、また、膝で小突いたとの点も、(証拠・人証略)によれば、これを肯認することができ、右各証拠の間に特に不合理な食い違いは存しない。これに反する右原告本人の供述は採用しない。
5 原告は、郵便物が床に落ちたのは、同課長代理が隣接する千葉主事席上の積み上げたものが崩れ落ちたことがあっただけであり、その後同課長代理が五班方向に向かった際には郵便物は所持しておらず、一三区順立台前において郵便物を落としたことはない旨主張し、菊地証言及び原告本人の供述中には、それに沿う部分が存するが、これは、右落とした郵便を拾う状況に関する原告自身の供述が人事院における公平審査手続における供述とも異なる上、(証拠・人証略)に照らして措信できない。(証拠・人証略)には、一部において時間の経過から記憶が薄れているところは存するが、その内容は一貫しており、特に、(人証略)は退職後になされているもので、同人が敢えて原告に不利な虚偽の供述をする必要はないのであるから、十分信用できるというべきである。
6 原告は、同課長代理の執務が実質的に妨害されたことはない旨主張する。
(証拠略)によれば、本件行為当時に同課長代理が行っていた事故郵便物処理は、その後終了したが、当日予定していた通信探問などの処理ができなかったことが認められる上、前記認定のように、長時間にわたり多数の組合員に取り囲まれ、罵声を浴びせかけられた同課長代理が、その間正常な業務に従事できなかったことは明らかであり、実質的にも執務妨害があったことは論をまたない。
7 また、原告は、右岩崎課長代理に対する復帰行動は、支部青年部の決定における行動であるから、その指導者は青年部長である菊地であって、同課長代理に対する発言の口火を切ったのも、また、同行動を解散させたのも菊地であり、したがって、原告が「さあ、他の犬狩りをやらざあ。」と声をかけて同行動を終了させたことはない旨主張し、(証拠・人証略)にはこれに沿う部分が存する。
しかしながら、原告が前示のとおり口火を切る発言をし、右行動を終了させる際に右のとおり「さあ、他の犬狩りをやらざあ。」と発言したことは(証拠略)を始めとする前掲各証拠によって十分認めることができる。岩崎課長代理に対する復帰行動が終了した際に原告らによって他の全逓脱退者に対する復帰行動が行われたことを窺わせる証拠は存しないが、そのことをもって原告が同課長代理に対する復帰行動を終了させるに際して右発言をしたとの認定を左右するものではない。
また、(証拠・人証略)及び弁論の全趣旨によれば、菊地は、午後四時一八分ころには、他課の全逓脱退者に対する復帰行動のため、五、六名の者と共に集配課を出て、岩崎課長代理に対する行動が終了する約二分前である午後四時四二分ころに戻ってくるまでの長時間にわたって右行動から離れているが、右行動はそのことに何らの影響を受けることなく継続されていること、同課長代理に対する行動が青年部の決定に基づくものであっても、実際の参加者は集配分会員であること、原告は、青年部長当時から全逓脱退者に対する復帰行動には、前記浜松支部における復帰闘争に参加するなど積極的に関与してきたものであること、岩崎課長代理に対する行動は、右浜松支部の闘争にならって清水支部で行うに至ったことなどからすると、原告が、青年部長の地位は離れていたとはいえ、青年部の一員として、同課長代理に対する右行動においても、実質的に指導する立場で積極的に関与したものとしても特段不自然ではなく、かつ、前記認定の原告の言動に照らすと、右行動が青年部の活動であることを根拠として原告の指導性を否定する右各証拠は採用できない。
四 昭和四九年四月一七日の事実について
1 清水局局長が集配課職員五名の昇給発令を保留したこと、当日午後四時五五分ころ、原告を含む組合員約四〇名が今村主事席にいた山崎課長を取り囲み、昇給発令の保留に関しその説明を求めたこと、この間、原告においても同課長に対し昇給保留の経過につき納得のいく説明をするよう求めたこと、同五時三四分ころ、原告において被告主張の発言をしたこと、同課長が一六区順立だな付近まで押し出されたこと、原告以外の組合員が蛍光灯を消したりブラインドを降ろしたりしたこと、同六時一四分ころ、原告がシュプレヒコールの音頭を取って組合員に唱和させて抗議を締めくくったことは当事者間に争いがない。
右争いのない事実と(証拠・人証略)を総合すれば、以下の事実を認めることができ、(証拠・人証略)中右認定に抵触する部分は右各証拠に照らして採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
清水局長は、昭和四九年四月一日の定期昇給発令に際し、集配課職員五名につき昇給発令を保留したところ、同月一七日午後四時五五分ころ、原告は、菊地とともに約四〇名の組合員の先頭に立って今村主事席に着席中の山崎課長を取り囲み、同課長及び三浦副課長の再三にわたる解散命令を無視して、菊地が「皆の前で説明しろ。」と言ったのに引き続き、「そんな態度を取っていると増班をひっくり返してやるからな。五月一九日がすんなりいくと思ったら大きな間違いだぞ。」など述べ、それに呼応した組合員らが口々に罵声を浴びせた。その後、原告が「うるせい、そろそろ立たせようか。」と指示したところ、青島が両手拳で同課長の背後から両脇を押して立たせようとし、同課長が立ち上がるのを防ぐと、森田順司らは、今村主事机上に腰掛けている原告の前に、同課長を着席している椅子ごと押し出し、「分会長と対談しろ。」と言い、原告も、「さあ、説明しろ。」と大声で威圧した。その後、原告は、「それ、もっと広いところへ出すか。」と指示し、これに応じた青島らが、市内一六区順立だな付近まで同課長を押し出し、集団で覆いかぶさるようにして説明を強要した。この際、組合員の中には、蛍光灯を消したり窓のブラインドを降ろしたりして付近を暗くし、筒状に丸めた週刊誌を同課長の耳元にあてがって大声を出し、耳を覆おうとする同課長の手を掴んで引き離し、マッチの火を同課長の顔面に近づけるなどの行為に及ぶ者もいた。蒔田課長が解散命令を発した際に、原告は、「集配課長が説明しないなら、お前が代わって説明しろ。蒔田、お前が皆の前で説明すれば解散してやる。」などと言って、抗議を続けた。そして、同六時一四分ころ、原告は、「さあ、みんな御苦労さん。今日はこの辺でやめよう。シュプレヒコールで結ぶから頼むよ。」と言い、「差別はやめろ。」、「仲間の分断は許さんぞ。」、「昇給保留を撤回しろ。」、「全逓清水支部集配分会は一致団結して闘うぞ。」などのシュプレヒコールの音頭を取って組合員に唱和させ、同六時一八分ころ、「明日からは業務には非協力で行くから頼むよ。」と言って、組合員を解散させた。
2 右認定の事実によれば、原告は、同日の集団抗議行動において、管理者による再三にわたる解散・退去命令に従わず、多数の組合員を指導して一時間余の長時間にわたり、集配課事務室に滞留して、山崎課長に対して暴言を吐き、脅迫的言辞を弄して威圧したほか、暴力的行為に及ぶなどして、職場の秩序を著しくびん乱したというべきである。
3 原告は、「そろそろ立たせようか。」とか、「それ、もっと広いところへ出すか。」と言ったことはない旨主張し、(証拠・人証略)にはこれに沿う部分が存する。しかし、前者の発言については、原告の主張においても発言者が変遷しているのみならず、右原告本人の供述を除く各証拠は、いずれも原告の当時の行動、発言については特に記憶していないというものであり、かつ、同日以外の本件抗議行動において供述している場合にも原告の行動等については記憶がないかあるいは一般の参加者と特に異なった発言、行動はなかったという趣旨に終始しているものであって、前示の同日までの抗議行動等における原告の発言、行動内容、また、当日の原告の行動、発言に関する三浦証言、山崎証言、(証拠略)に照らして採用できない。なお、原告は、三浦副課長の現認書(<証拠略>)には右発言の記載がないことから、この点に関する(証拠・人証略)の記載は措信しがたい旨主張するが、(証拠略)によって認められる、当時三浦副課長は青島らによって現認作業が妨害されていることなどの事情を考慮すると、この点の差異は(証拠・人証略)の信用性に疑問を差し挟むほどのものではない。また、後者の発言については、原告は当初この発言をしたことを認めていたのであり、また、(証拠略)によりこれを認めることができる。
4 原告は、「増班をひっくり返してやるからな。」と発言したこと及び「明日からは非協力で行くから頼むよ。」と発言したことがないことは、現実にその後増班が実施されたことや、翌日以降の非協力という事態が生じていないことからも明らかである旨主張するが、現実に右の事態が生じなかったことをもって、直ちに前記認定を覆すに足りない。
5 原告は、同日の行動について、支部の要請により開催された集配分会会議の決定に基づく行動であるから、原告が指導したことはなく、抗議の口火を切ったのは菊地と池田書記長であり、解散前に行われたシュプレヒコールの音頭を原告がとったのは池田書記長が疲労していたため同人から依頼されて行ったに過ぎない旨主張し、(証拠・人証略)にはこれに沿う部分が存する。
しかしながら、集配分会会議の決定による行動であっても、原告が指導する立場にあっても不合理でないことは前示のとおりであり、原告が指導していたことは右の判示の同日の抗議行動における原告の言動から明らかであるが、更に、森田順司ら参加者が山崎課長に対して「分会長と対談しろ。」と言っていることからは、参加者も原告が指導者であると認識していたことを推認するに十分であり、分会長である原告が指導する立場になかったことを根拠とする右各証拠は採用できない。
五 昭和四九年七月二三日の事実について
1 三浦副課長が同月二二日午後松下に対し所属班の変更について説明を行ったこと、同人が同副課長の説明に納得しなかったこと、同人に対して当日時間外に再度話し合うと申し向けておいたこと、同副課長が同日午後四時ころ、松下宅へ電話したが、同人は不在であったこと、その後同人が同副課長へ被告主張の趣旨の電話を入れたこと、集配課外務職員の定員が被告主張のとおり減員になったこと、被告主張のとおりの配置換又は転任が行われたこと、同月二三日午前七時三〇分ころ、松下が自席にいる同副課長に対し被告主張の趣旨の発言をし、原告も被告主張の趣旨の発言をしたことがあること、同課長が原告に対し就労するよう命じたことは当事者間に争いがない。
右争いがない事実と(証拠・人証略)を総合すれば、以下の事実を認めることができ、(証拠・人証略)中右認定に抵触する部分は右認定に照らして採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
清水局集配課においては、近隣局の開局に伴い職員の異動を実施する必要が生じ、また、七月二七日付けで同課を第一集配課と第二集配課とに分割することが予定されていたため、山崎課長は第六班所属の松下を第七班へ所属換させることとし、本人に説明を行うよう三浦副課長に指示した。そこで、同副課長は、七月二二日午後、松下に対し右の所属換をすることにつき説明をしたが、同人が納得しなかったので、同日の時間外に再度話し合う旨告げた。しかし、時間外に同人がいなかったため、同副課長は、同日午後四時ころ、松下宅へ電話をした。その時は、同人は不在であったが、午後六時ころになって、松下から三浦副課長に電話があり、「時間外になぜ自宅へ電話するのか、家の者がびっくりするではないか。仕事の話は時間外に聞く必要はない。」旨述べたため、同副課長は、翌日手すきの時間に話し合いをする旨述べた。
七月二三日午後七時三〇分ころ、松下が三浦副課長席に向かうと、原告は菊地らと共にそれに同行し、松下が、「おい、三浦、昨日話があるといって電話をかけてきたので、来てやったぞ。さあ、話をしよう。」と切り出したのに続いて、原告は、「三浦、時間外に勝手に組合員の家に電話をかけるとはどういうことなんだ。そんなことが許されると思うのか。謝れ。」などと大声で抗議し、その後も同副課長の就労命令を無視して、その場に集まってきた組合員十数名とともに、抗議を続けた。同四〇分ころ、山崎課長が原告に対し、集団抗議を解散させ就労するよう命ずるとともに、就労しない場合には欠務処理及び処分の対象にする旨通告したところ、原告は、「これは挑戦だ。課長がそういう態度であるなら、みんなを呼ばざあ。」と反発したため、新たに数名の組合員が抗議に加わり、更に、同五〇分ころ、山崎課長の同様の通告に対し、「処分するなら全員だからな。全員仕事しないからな。差別したら承知しないからな。」などと述べ、同副課長席付近で抗議を続けた。この抗議に呼応して、同課職員のほぼ全員が作業を放棄したため、管理者が見回り、就労命令を出して回るという状態が続いた。同一〇時すぎころ、野末が蒔田課長らの対応を原告らに伝え、話し合いをした後、同一〇分ころ、原告らは自席に戻り、他の職員も作業を再開した。
2 右認定の事実によれば、原告は、勤務時間中にもかかわらず、管理者の解散・就労命令を無視して、多数の組合員を指導して、長時間にわたり集団抗議を行い、その間、管理者に暴言を吐き、組合員に勤務を欠かせ、自らも約二時間三〇分もの長時間にわたりその職務を放棄して欠務し、職場の秩序を著しくびん乱したものというべきである。
3 原告は、右の行動は集団抗議というような集団としての一斉の行動でなく、また、それにより職場秩序をびん乱したことはない旨主張する。
しかしながら、当初は松下のほか、原告と菊地ら数名が三浦副課長に抗議を始めたものの、間もなく抗議参加者は十数名になり、その後はそれらの者によって三浦副課長及び山崎課長に対して抗議行動が行われたもので、遅くともそのころには集団としての抗議行動に至ったというべきである。しかも、同一〇時一〇分ころにその集団抗議が終わるまで、その他の集配課のほとんどの職員が作業を放棄していたことからすれば、右作業放棄は、原告らの集団抗議に呼応したものと認めるのが相当である。したがって、右の事態も集団としての一斉の行動であって、かつ、職場秩序を著しくびん乱したものというべきである。
4 また、原告は、「みんなを呼ばざあ。」とか「全員仕事をしないからな。」という発言はしておらず、また、仮にそのような発言をしたとしても、その言葉自体が他の組合員に対する指示を意味するものではない上、組合員が抗議に参加したのも、また、抗議行動自体には参加していない組合員の多くが職務を放棄したのも、原告の右発言によるものではなく、したがって、原告が右抗議行動を指導したことはない旨主張し、菊地証言、原告本人の供述中には、原告は右の発言をしていないとの部分が存する。しかし、これらは(証拠略)に照らして採用できず(右証拠間において、集合してきた組合員の員数等に差異は存するが、原告が右発言をしたこと及びそれを契機として抗議参加者が増加したことは一致しており、参加者が参集してきた時点の捉え方によって参集した人数等に差異が生じても何ら不自然ではないというべきである。)、かえって、(証拠略)によれば、原告の発言によって、抗議に参加する組合員が増加し、多くの組合員が職務を放棄するに至ったことを認めることができる。そして、右原告の発言は、確かにその言葉だけを取り上げてみればいずれも他への指示ないし呼び掛けを意味するものではないが、前記認定の当時の状況の下においては、右発言は、他の組合員に対してそれに同調を促す趣旨をもって行われたものと解するのが相当である。更に、(証拠略)により認められる、原告が、九時三七分ころ、労務担当者に対して、折衝を持つよう要求していることをも併せ考えると、原告は、右抗議行動をも指導したというべきである。
六 適用法条
以上認定した原告の行為のうち、勤務時間中にもかかわらず、管理者の再三にわたる解散・就労命令に従わず、長時間にわたり集団抗議を行う等してみだりに勤務を欠き、多数の組合員に対し勤務を欠かせた行為(三月二八日午前の事実及び七月二三日の事実)は、国公法九八条一項、九九条、一〇一条一項、就業規則一三条に違反し、国公法八二条各号に該当し、多数の組合員を指導して、管理者に対し、集団の勢威をもって抗議を行い、暴言を吐き、あるいは暴力的行為を行うなどした行為(前同各事実)は、国公法九九条、就業規則一三条に違反し、国公法八二条一、三号に該当するというべきである。また、庁舎事務室において、多数の組合員を指導し、管理者の再三にわたる解散、制止、退去命令を無視して、管理者に対し、長時間にわたり激しい集団抗議を行い、暴言を吐き、あるいは暴力的行為を行うなどした行為(三月二八日午後の事実及び四月一七日の事実)、また、庁舎事務室において執務中の職員に対し、集団の勢威をもって暴力的行為を行い暴言を吐くなどのいやがらせを行い、執務を妨害する行為(四月四日の事実)は、国公法九九条、就業規則一三条、庁舎管理規程三条に違反し、国公法八二条一、三号に該当するというべきである。
第三 原告の主張について
一 不当労働行為該当性の主張について
まず、本件各抗議行動が、清水局当局の違法不当な措置に対し対抗的にされた正当な組合活動であるとの原告の主張について検討する。
しかし、以下のとおり、本件各抗議行動等について清水局当局に原告が主張するような違法不当な措置が存したとは認められないばかりでなく、前示の本件各集団抗議行動等における抗議の方法、内容は通常の範囲を著しく逸脱し、職場の規律及び秩序を著しくびん乱したものであり、その態様自体から到底正当な組合活動であるということはできない。
1 まず、原告は、三月二八日午前の事実につき、管理者の年休処理が不当であったと主張する。
(証拠・人証略)よれば、菊地の担当していた二一区においては、本件行為の前日である三月二七日時点で前日からの残りが六〇〇通であったものが、三月二八日当日には一二〇〇通になっており、当日入物した一四〇〇通と合わせて二六〇〇通もの郵便物が滞留していたと認められるところ、(人証略)によれば、同区の一日当たりの通常の配達数は一二〇〇通であったと認められるから、右滞留数はそれだけで二日分以上に当たり、また、当事者間に争いのない、同区が会社の本社等を多数有する地域であった事実や、(証拠略)によって認められる同区が他の一三区ないし二〇区及び二二区と比べて突出していることを考え併せれば、同区の郵便物の滞留状態は憂慮すべき状態であったと認められる。そして、(人証略)によれば、同副課長は、菊地の年休付与申請とは関係なく、前日から、右のような滞留状態を解消するため、同区の通区能力のある補充要員の確保を図ったがその目的を達することができなかったことが認められるから、山崎課長が菊地の年休申請が事業の正常な運営を障害するものとして、申請どおりには年休の付与はできないとした判断に違法、不当な点があったとはいえない。
なお、(人証略)には、三月二九日午前の抗議行動の後、同人が窓口となって蒔田庶務会計課長と菊地に対する年休付与について交渉した際、同課長は再調査を約した上、菊地の年休の申請は認められるであろう旨発言をしたのでこれを菊地に伝えたとの部分が存するが、同証言によっても、その後池田は、未だに菊地が申請した年休の時間までには間があったのに、同課長に再検討の結果すら確認しなかったというのであるから、蒔田庶務会計課長が菊地の年休申請について右のような趣旨の発言をしたとの右各証拠は直ちに採用し難い。また、原告が主張する時間休については当然に付与されるとの慣行が確立していたことを認めるに足りる証拠はなく、更に、当時清水局において年休の取得が著しく困難であったことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、(人証略)によって認められる同人らの年休取得状況によれば、そのようなことはなかったことが認められる。
2 次に、原告は、本件各事実(四月四日を除く)において、管理者が違法不当に説明を拒否した旨主張するので判断する。
(一) 三月二八日午前の事実については、菊地に対してその申請どおりには年休を付与できないとの山崎課長の判断は止むを得ないものであり、不当な点は存しないこと及び同課長が菊地に対して、申請どおりには年休を付与できないとの理由を説明したことはいずれも前示のとおりであり、その説明が特に不十分であったということはできない。したがって、同課長らが菊地に対して年休を付与しないについて十分な説明を行わなかったことが不当な措置であるとして同日午前の集団抗議行動が正当な組合活動であるとする原告の主張は採用できない。また、同日午後の事実についても、それは、当初から菊地に対して年休を付与しなかったことに対する抗議行動として行われたものであり、しかも、前示のとおりその態様自体が正当な組合活動とは認められない右行動に対して山崎課長のとった措置に違法不当な点は存しないというべきである。
また、四月一七日の事実についても、山崎課長が五名の者に対する昇給発令保留の理由についての原告らによる説明要求に応じなかったことをもって違法不当な措置であるということはできない。なぜならば、同日における集団抗議行動は、昇給発令の保留という勤労者にとっては最も重大な関心事に関して行われたものであることを考慮しても、その態様は前示のとおり極めて激しいものであって、到底正当な組合活動と評価し得るものではなく、そこで出される要求に対して、山崎課長に説明を行うべき義務が存するものと解することはできないばかりでなく、同課長は部下職員の第一次監督者、昇給保留の第一次判定者であるにしても、昇給発令あるいはその保留について決定権限を有するものではない上、当時は清水局局長から上局である東海郵政局にその承認を求める上申が行われ、その最終結論についてはなお検討中の段階にあり、また、(証拠・人証略)によれば、昇給発令保留者五名に対する理由の説明は蒔田庶務会計課長が当たることになり、山崎課長はその旨をそれら五名の者に対して通告していたことが認められ(<証拠・人証略>によれば、同人は、説明を求めて来た五名のうち菊地を含む三名の者に対して、その理由を説明したことが認められる。)、更に、各該当者の昇給発令保留の理由は極めて個人的な事情であって、本件のような集団抗議行動の場で説明する事柄ではないことが明らかであるからである。なお、原告は、四月一〇日ころ、支部執行部と当局は昇給保留の件について折衝を行ったが、その際、蒔田庶務会計課長は折衝事項に当たらないとして、話し合いには応じなかったと主張し、(人証略)にはこれに沿う部分が存するが、これは、(証拠略)に照らし、また、(人証略)及び昇給発令保留の対象者であった森田順司の供述(<証拠略>)によってもそのような事実が存したことを窺うことはできないことに照らし採用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
七月二三日の事実については、(人証略)により認められる、班編成に変更が必要であることは既に組合に通告されていたことに、前示の三浦副課長が松下に対して所属換の説明を行った経緯に照らすと、同副課長がそれを殊更に組合に内密にしようとしたものでないと認められ、同副課長がその説明をする時間を決めるために松下の自宅に電話をかけたことが違法不当であるということはできず、また、電話をした理由については既に同副課長がその電話で松下自身に話してあることで明らかであるから、改めて説明をする必要があったともいい難い。また、松下が右抗議の場において三浦副課長に対し、直ちに所属換の件についての説明をするよう求め、同所に集まっていた者からも同様の要求がされているが、三浦副課長は、松下に対し、手が空いた時に説明する旨述べているのであり、かつ、集団抗議行動の場においてその参加者らに松下の所属換について説明を要するものとは解されないから、三浦副課長が右の機会に説明をしなかったことが不当であるということはできない。したがって、三浦副課長が松下に対する電話をした行為、松下及び原告らに対しその理由を説明しなかった行為及び松下の要求に応じてその場で所属換について説明をしなかったことをもって不当であるということはできない。
(二) 郵政省は、従来から団体交渉事項は労基法二四、三六条に関する問題に限定する見解を採用し、全逓との対立を深めてきたが、昭和四五年一二月一四日、両者は下部段階の労使の意思疎通を図るためのルール作りを進めることを確認し、その結果、昭和四七年折衝に関する覚書(<証拠略>)が締結され、昭和四八年四月一日以降、団体交渉とは別個に、右折衝ルールに基づく支部折衝及び局所折衝が行われることとなったことは当事者間に争いがない。そして、(証拠・人証略)によれば、全逓中央本部は、団体交渉事項を限定する見解への否定的立場は貫きつつも、右折衝ルールの実施に伴い、支部段階の団体交渉事項については、六か月後に検討を始めるが、これが拡大されるまでは労基法二四、三六条協定の締結に関することにのみに限ること、また、折衝ルールの運用解釈をめぐって紛争が生じた場合も当分の間中央段階で話合っていくことを下部に周知させていたことが認められ、(人証略)の結果中これと抵触する部分は採用できない。
ところで、本件各行為で問題となったものは、年休付与、昇給に関する証明保留及び配置換であるところ、これらが前記支部団体交渉事項に含まれていないことは明らかであり、また、それらの事項が支部折衝事項に含まれるかについては、右折衝ルールにおいて明確に合意されなかったが、(証拠・人証略)によれば、郵政省は具体的な申請に対する年休付与の可否については個別的労務指揮権の行使に関する事項として、また、個々の職員の昇給に関する証明保留及び配置換については個別的人事権の行使に関する事項として、ともに折衝に関する覚書3(4)ア「法定事項、管理運営事項及び権限外事項のうち、意思疎通を行うことが適当でない事項」のうち管理運営事項に該当し、支部折衝になじまないものであると主張していたことから、全逓中央本部は当面は郵政省の右主張を容認し、それら個別的な問題については、これを一般的な問題に構成して折衝事項とするよう指導していたものと認められるから、結局、当時の全逓中央本部の見解に立っても、これらの問題につき右折衝ルールに基づいて当局側に説明を求める根拠は存しないことになる。更に、昇給に関する証明保留問題に関しては、(証拠・人証略)及び弁論の全趣旨によれば、昭和四九年四月一七日当時においても、証明保留の確定後、「昇給の欠格基準に関する協約」付属覚書の三により、郵政省と全逓との間に締結されている「苦情処理に関する協約」に基づく苦情処理委員会の制度によって解決を図るものとされ、前記折衝に関する覚書3(4)イにおいて苦情処理制度により解決される事項は折衝の対象としないとされていることが認められるから、昇給発令保留の問題はこの点からも折衝事項に該当しないものというべきである。
なお、原告は、清水局においては、支部からの交渉要求をことごとく拒否されたため、止むなく集配課長らの管理者に対して集団交渉ないし集団抗議に及んだ旨主張するが、清水局が右折衝ルールに基づく正当な折衝の申入れを不当に拒否したことを認めるに足りる証拠はない。
以上のとおり、いずれにしても管理者が説明を拒否したことが違法不当だとする原告の右主張はそもそも前提を欠くことになり、採用できない。
(三) なお、原告は、四月四日の事実について、当局の介入に対する正当防衛ともいうべき正当な組合活動であると主張するが、岩崎課長代理が全郵政に加入したことが当局の示唆、誘導に基づくものであることを認めるに足りる証拠はないのみならず、同課長代理個人に対する前示の行動は、いかなる観点からも正当な行為であると解することはできないから、この点の主張も採用できない。
2 次に本件処分は、郵政当局が清水局における組合活動の中心的存在である原告を嫌悪し、職場及び組合活動から排斥する意図で行ったとの主張について検討する。
従前認定した事実によれば、原告は、昭和四四年八月から昭和四七年八月まで全逓清水支部青年部長を務め、同月から本件各集団抗議行動当時にかけては同支部集配分会会長を務めるなど、同支部の活動に積極的に参加し、組合活動上組合員に対して大きな影響力を持っていたことが認められる。
しかしながら、前記のとおり、本件各抗議行動等が正当な組合活動であるということはできず、山崎課長ら管理者についても違法不当な点は存しないことに、本件各抗議行動等における原告の非違行為の程度が極めて重大であり、本件処分が相当性を欠くものとはいえないことを総合勘案すれば、本件処分が、原告が主張するような意図で行われたものということはできない。
以上のとおりであるから、原告の不当労働行為の主張は理由がない。
二 労基法二〇条違反の主張について
本件処分は、同条一項但書所定の労働者の責めに帰すべき事由に該当すると認められ、また、行政庁の認定は解雇の有効要件ではないと考えるのが相当であるから、本件処分が、労基法二〇条に反し無効であるとはいえない。
三 裁量権濫用の主張について
1 管理者らの違法不当な措置への対抗的行動であるとの主張について
前示のとおり、本件各抗議行動に関して、清水局管理者に違法不当な点は存しなかったというべきであるから、原告の右主張は前提を欠き、失当である。
2 他の組合員に対する処分量定との均衡論について
(証拠略)によれば、菊地に対する懲戒処分事由としては、原告に対する本件処分事由とされた行動に参加したことに加えて、同年二月二八日における業務命令違反、同年四月二日及び同月四日の集団説得行動への参加が挙げられ、また、(証拠略)によれば、菊地がかなりの積極性を持って、本件各行為に参加していることも認められる。
しかしながら、菊地については、本件三月二八日の事実においては年休の申請者本人であり、四月一七日の事実においては昇給発令保留の対象者であったこともあり、集団抗議に参加した動機において原告とは著しく異なることは明らかであるほか、弁論の全趣旨によれば、菊地の過去の処分歴は原告より軽いものと認められるのであって、これらの諸事情を総合すれば、菊地に対する懲戒処分との不均衡を理由として裁量権違反をいう原告の主張も採用できない。
また、先に判示した本件各集団抗議行動等における原告の地位、言動、処分歴等を考慮すれば、本件処分が菊地以外の被処分者に対する懲戒処分に比して著しく過重であり、均衡を失するものということもできない。
3 その他、証拠に現れたすべての事情を総合考慮しても、原告を懲戒免職に付した被告の本件処分に裁量権を逸脱した違法が存すると認めることができない。
4 以上のとおり、原告の裁量権違反の主張はいずれも理由がない。そして、前示のとおり、原告の非違行為は、再三にわたって行われたものであり、その内容は、暴力的行為をも伴った極めて激しいものである上、他の組合員を指導して、同人ら及び自らも、職務の繁忙時間帯に最長二時間余にわたり勤務を放棄するなど、公務員としての自覚、節度に著しく欠けたものというべきであり、しかも、原告は、本件と同種非違行為を含む非違行為により懲戒処分を四回受けたことがありながら、反省自戒することなく再び本件各非違行為に及んだことを総合考慮すると、本件処分は相当な処分であるというべきである。
第四 結論
以上説示したとおり、原告の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 吉原耕平 裁判官 安井省三 裁判官 水野智幸)